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2004年12月10日
高木敏雄HomePage

追録 非理法権天の説 

                               宮大工 十四代 高木敏雄
     ◆ 虚偽と嘲罵された真相糾明 ◆

 楠木正成(1294〜1336)の旗印、『非は理に勝たず、理は法に勝たず、法は権に勝たず、権は天に勝たず』 (人事は、つまるところ天の命のままに動くもの、天を欺く事は出来ない) 「広辞苑」

 昭和62年、県教委主導による悍しい高木文書調査の全貌は、殆んどが一方的な主観・観念による懐疑論に傾注し、その為に慮外の赤心・至情(まごころ)の無い内容に終始しているが、その傍若無人は恰も当家が古文書を所有していること自体が、宿命的な桎梏(しっこく)であるかの如き愚弄や、自大の故なき中傷となり人倫に悖る違和感漂う退廃は、昨今では一部既刊の修理工事報告書にも虚説が伝播し、官の刊行物まで信憑性を失する退嬰傾向にあることは、甚だ杞憂すべき事態である。

 これについて、如何なる意趣・遺恨によるものか、自己顕示欲なのか、余すところなき事実無根、数多の中傷・虚説を公表されるに至った事態・事象の内から、問題となる核心を抽出し、道理に外れた不条理の部分を不服として県教委の要人と折衝を重ねたが、公権力によって敢えなく一蹴され、水泡に帰することとなった。

 この紛擾について、元来巷間の片隅で辛うじて余喘を保っている私が受けた凌辱は兎も角として、これは先祖の尊厳に拘る重要な案件であり、座視して死を待つことはできず、今般「二の矢」を放つにあたり問題意識を明確にした上でそれらの透明性と客観を確保し、その悲憤慷慨を措定して子々孫々に遺しておきたいと希求するものであります。

 先ず冤罪紛いの先鞭となった当該本堂造工にまつわる建築願書を論拠とし、その起源となった報告書の見解を分析判断するについて、例証として次の三件を参考にしたい。

(1) 宝暦5年(1755)10月、法の定むるところにより、高木ではなく、申請業務のみ地元大工が願主となって、修理の名目(条件)で中井役所に申請、大工頭より同願主宛てに許可を与えられ、自宅に持ち帰った正本(前提)の写し。
               (現、寺院文書)                          
(2) 翌6年5月、当初の修理計画が新築に変更され、それに伴って高木が寺院に提出した第二次計画ともいうべき(新材の)木材明細書。

(3) 現存本堂を調査した結果、『宝暦以前の古材は一切使用されておらず、すべて同時期の加工・組立てが明らかであり、以上の事由により宝暦期の新築と断定したことは、歴然とした眼前の事実である』以上の明断を糾明の拠りどころとした。

 以上の三件を総合判断した結果、報告書は、『高木は新築で申請すると不許可になる可能性があるところから、わざと、(故意・意識的に)古堂(大坂天満御坊)の修理・修復ということで(出願内容の)目的を変え、(捏造し)
つまり虚偽の申請をして無理に許可に漕ぎつけた』と、理非曲直の混交した論決としている。

     ◆ 『菽麦を弁ぜず』の迷論 ◆

 以上、報告書の見解は前述(1)・(2)・(3)に区別した造営経過三件に対し、物事の分別を理性に訴えることなく、ひたすら上滑り思考による包括とし、呆れ果てた独善主義の判断は、『菽』(豆)と『麦』との区別さえ知らない付会(こじつけ)の説といえる。

 これについて先ず概念の定義として、(1)は造営計画第一案である古堂修理を条件とした中井家の裁許であるのに対し、(2)は後日新築に変更されるや、逸早く寺院に提出した木材明細書である。因みにこの両者の主旨を対比してみると、夫々に事物の成立要素(その書状の内容)や筆記した時期までも互いに異なることから、(2)と(3)は共通認識として直結が可能であっても、(1)対(2)・(3)を一絡げにすることは、自(おの)ずからそれ自身の在り方に隔たりがあって、不自然で調和せず、この思惑は木に竹を接ぐが如き矛盾を生ずるのである。

 更に視点を変えて、(3)現存本堂が、(2)の木材明細、他を準拠として『宝暦期に着手した新築』の認識は、何人も賛意を表する客観事実であり、これに対して(1)の修理許可文書は、当初地元の大工が願主として許可を取得して以来、当分の間は物事の真偽を識別でき得る証拠の建築許可書であったものが、建主の都合で新築に変更するときは、それに即応した再申請を促進する中井役所の規制に則り、後日
『新築名目で再申請をして許可を得た』時点で(1)の文書は今後一切拘りのない「反故・反古」(ほご)の書状となって、従来の役目を喪失し、これに代って新築許可を得た文書(寺院には非実在)が、今後の造営判断を議する証拠文書となったのである。

     ◆ 建物の立会見分について ◆

 普請願について兎や角と、門外漢による外野席が騒々しいが、建築申請に伴う中井役所の規制の一貫として、『品により(建物の程度によって)見分けの者(検査役人)を差し遣わし申し候事』という定法がある。

 これを念頭に勘案すると第一次計画では衆目の一致する所、古堂の修理名目で申請〜許可(宝暦5年10月)となったものの、時を移さず新築に変更され、(これにより当初計画は廃案)第二次は新築名目で再申請をした。その時期は残念乍ら不明であるが、翌6年5月には新築に伴う「使用木材明細書」(寺蔵文書・高木筆)が作成されている事実により、同6年中には再申請〜許可に至ったと考えて大過はない。(高木文書による間接証明・帰謬法)

  一方の「見分け」については、与力二名、中井家直属棟梁一名に加え、申請人も検査に立会う義務がある。事実、高木文書には宝暦6年付で、このとき蒲生郡内における高木営業範囲(縄張り)内の寺院二件、神社一件の「見分相済申し候」とする間接証明も現存する。

 以上を総合判断すると、彼等による賢しら知識では、先ず当時の新築と判断した本堂に対し、一方の修理名目の寺蔵文書を突き合わせた結果、誰が考えても辻褄が合わず、窮余の一策として総て先祖の所為にし、
『高木による虚偽の申請』と公表するに至ったものである。

 第一、中井役所の規制では新築はいうに及ばず、数日で終る小修理に至るまで申請するよう促し、これを徹底すべく郡大工組を五分割し、その「長」として大工年寄を各一名配し、「互いに違反あれば親、兄弟たりとも、この方(中井家)に届けよ」と牽制した厳しい時代に、虚偽の書類で欺瞞が通ると考えていること自体、捧腹絶倒の極みであり、調査員としての資格にも乏しい。

 それは当該寺院に再申請(新築)の許可書が見付からないといって、直ちに先祖を公文書捏造の犯罪者にするのは筋が通らず、況して口を開けば一つ覚えの如く
「高木は幕府禁令を破っている」との毒筆は、申請業務に関してのみ考えてみても当家に責務はなく、それでも今回(平成16年)の同寺報告書には「高木が拘ったことには違いない」と執拗に攻撃し、それでも申請に関する誤断は多少認識したものか、「その為、行政的な事もあって隣郡から高木を招いた」とあるが、高が知れた江州片隅の田舎大工にそのような大仰な力量はなく、加えて同報告書の末尾に「大工心得」として修理に無関係なものを記載しているが、その『雑記』そのものは現在私の所有であっても、その内容の「万葉集」「元享記」「徒然草」などを出典とした高尚な書物は当家にはない。唯に当家は味噌糞に書かれている通り、一介の溝板修理の大工に過ぎず、ますます報告書(当家に関する)の意図が不可解となった。

      ◆ 猟師、自分の罠に掛かるの準え ◆

 前掲に続き、高木文書調査の目的意識は、折角の善意を踏みにじった見るも無残な惨澹たるもので、それは宛ら砂漠に撒水するが如き徒労感、(瞹時に乾燥する無駄な骨折り)と、上滑りの皮相感(真相を極めない表面のみ浅薄な判断)を漂わせ乍ら、虚ろな(中身のない)偏見による高木剥がしに固執し、不相応な誤断を大言して憚らないが、その思考は単に闇夜の一筋の光明にすぎず、間違いだらけの論述は、如何にも視野の狭い抽象の極みといえるものである。

 その調査手段は、幅広く深い知識によって論理的に考えた判断ではなく、逆に現実から乖離した根拠のない主観的な想念がもたらした虚構(事実でないことを事実らしく仕組む)となり、それ故に肝心の客観的な事実判断を放棄し、一部都合のよい所だけを繋ぎあわせた弥縫の策といっても過言ではない。

 これについて、調査を託す職員の適否を考慮せず、幕府法度や中井役所の規制等を皆目知らない不所在者に安易に依頼をした、いわゆる身内に甘い県教委にも任命責務の一端があるが、一方、調査員自身も自分以外に偉いものは存在しないと自惚れた唯我独尊思考では、何でも知っていると自負する「百」の知識より『これが専門である』と精進した人の「一つ」の知識にも及ばず、肝心な点に触れない不徹底によって吾人の伝統と慣習を拒否し、その不遜は理性を歪め、自分が正しいと信じて先祖を撫で斬りにして悦楽を貪るが、その思い上がりは大局的な視点で物を見ることを忘れ、自分の思う通りにならない事が生じたときは、総て先祖の所為にする他罰的傾向にある。

 それらの不見識を如実に証するものとして、「亀毛・兎角」(非実在を示す)の偏見は、『それぞれの寺・社に所蔵する文書以外、如何なる文書も世間には絶対実在しない』の狭量な想念が災いして枢要な判断を歪め、例えば(所有者にお叱りを受けるが)なまじっか写しであるにせよ(1)当初の修理許可文書が寺院に存在する事象に惑溺し、本来すでに価値を喪失した文書なのに勿怪の幸いと思いすごし、これと往事に新築された現本堂とを対照して単純には結びつかない関係にある二つの事物を、直截簡明な短絡思考により
『高木が虚偽の申請をしたものである』と空前絶後の不毛な判断としたものである。

     ◆ 眼光紙背に徹し、行間を読む ◆

 報告書を熟読した結果、唯に字句の解釈のみに止まることなく、尚も貪欲に文面に表れない深意を汲み取ろうとしても、前述の如き耐え難い不条理や、罵詈雑言を羅列した理不尽な空理空論では、実体のない幻想に等しく、如何に『韋編三たび絶つ』頻度の耽読といえども要領を得ることは至難の業である。

 『仏の沙汰は僧が知る、餅は餅屋に』という諺がある通り、自分の多年の研鑚と対比してみて餅屋ではなかった彼等の驕慢な舞文曲筆(事実を曲げて書く)は、古文書を正しく判断することや、評価をする専門知識の総てが冷徹であると独善な錯誤をし、その力量に乏しい自分を客観できない状態で、自己の才覚の程度を顧慮することなく、先祖の来し方を論(あげつら)い、然るべき根拠のない毒筆を垂れ流した素因は、取りも直さず、既に高木文書調査以前の先学の発表を基底とし、『自己の所属する郡大工組以外での作事は不可』とする虚誕の説を頑なに妄信し、その固定観念や、歪んだ見解による潜在意識が底流をなし、
『高木を幕府禁令破りの無法者の如く罵(ののし)り立て、』取り分け本件は郡外からの造営依頼で申請方法は前述の如く異色であることから、正実に大工組違いの事情を説明した文言に対して徹頭徹尾「ならず者」の如き難癖をつけ、ますます敵意を露わにし、『(高木は)蒲生郡、(建設地は)神崎郡と、大工組が違い申し候について』と、わざわざ前文をつけているのをみると、その経緯は必ずしも平穏であったといい切れない。そこに高木一流の政治力が働いた。』と決めつけ、『矢川神社の例がよくそれを物語っている』と付け加えている。

 この卑劣で歪曲した謀略は、自身が置かれている立場と裁量を媒介した自己の能力や、その価値を自覚した正しい判断とはいえず、一方では他者が傷つく事を直情径行により毫も斟酌せず、それは蹉跌の範疇を逸脱した、悪質非道な行為と言い得て尚、余り有るものである。

 公が裁量の拡大を主目的として個人が所有する文書の調査をするには、吾人が具有する専門技術に伴う普遍の原理(根本の法則)例えば幕府法度・規制の熟知が涵養であり、もう少し地面に足が密着した正当な調査が出来ないものであろうか。それらは先学書の余滴ともいうべき、時として過誤の知識を鵜呑みした結果機能不全に陥り、それでも専門家の老婆心は一顧だにせず、本願寺八幡別院本堂修理工事報告書では『角を矯めて牛を殺す』の空洞化した論旨となり、矢川神社本殿造営についても前述の如く基本的概念すら理解できず、『書いたもの勝ち』脚色半分の集大成となっている。

 『棺を蓋(おお)いて事定まる』という名言があるが、私の場合はそれでは遅きに失する。その訳は随分と事実無根を書き立てられた毒筆の内から、せめて冤罪紛いの嫌疑だけは晴らしてから黄泉の世界にと考えている。

 折角の古文書を『弊履を棄つるが如く』一切を顧みず、そのため一部の報告書では案の定覿面は即座に顕著となり、すでに文化の崩壊の前兆ともなっている。

 かく申す私自身、失敗夥多の人間であるので、他者の誤謬を逐一言挙げるつもりは毛頭ないが、以上の極限に到達した悪評は、当家所有古文書を媒体とした先祖の来し方に対し、余すところなく歪められた策略は、折角先祖が積み重ねた「犬馬の労」が、文化的・歴史的所産から遠ざけられ、代って誤った力の支配が本流を占めつつある。

 知性とは、『然は』(一旦はそうであろう)と思考しても、『然り乍ら』(しかし、こうも考えられる)つまり、再考の結果、「自分が間違っているかも知れない」と考えることができるのが知性であって、間髪を容れず
『高木による虚偽行為』(自分が正しい)と決めつけるのは知性ではないと私は思う。
PN   淡海墨壷