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2008年5月15日
高木敏雄HomePage

違和感漂う短絡思考と迎合的な特性

宮大工 十四代 高木敏雄
     ◆ 有り触れた道聴塗説と杜撰な調査 ◆

 先人の格言に『一犬影に吠(ほ)えると百犬その声に吠える』つまり、一人が間違ったことを言うと多くの人々がこれを妄信(理由なく信じる)し無責任な受け売り話を巷間に垂れ流す病弊、即ち『道聴塗説』は、計らずも行きずりの人から聞いた立ち話を直ぐ様鸚鵡(おうむ)返しに別の人に伝えるという出任(でまか)せが、折節道理に叶(かな)う話を耳にし乍らこれを自分の心にとどめることなく、間髪を容れず順送りするという軽佻浮薄に対する戒飭である。
 
 その杜撰(典拠が不確かでいい加減)な例を穿(ほじく)り出すと、平成16年3月、滋賀県教育委員会発行『弘誓寺本堂修理工事報告書』56頁〜57頁に(吉田の受け売り話を引用し)『高木兵庫雑記の建築感』と銘打って似ても似つかぬ特筆をして得手に帆を揚げているが、子孫の私にすれば真に不測の事態であり、これを剔抉した結果、当該報告書執筆者が委細構わず公表した(1)〜(12)を「韋編三たび絶つ」まで熟読したが、先祖伝来の古文書の範疇には見当たらず、取り分け(12)に列挙している出典、論語・万葉集・徒然草・延喜式・元亨釈書・三代実録等の崇高な書物が果して当家に必要か否かを詮索する以前の問題として、細見・山岸・村田・池野により蛇蝎の如く嘲罵される誹謗は、
『高木は組頭という立場を悪用して各地の大工と争論に及び、剰(あまつさ)え幕府の禁令を侵犯している』という馬鹿の一つ覚えは、取りも直さず寛文の大工法度・他を皆目知らぬ素人が、縦(よし)んば文字が読めたとしても肝心の内容が把握できぬ様垂(ざまた)れで、然(さ)も先祖を法度破りの犯罪者であるが如き奸策を弄し、事実無根を公刊に掲載することにより我が意を得たりとほくそ笑んでいるが、このように権力を盾に取り、極度に蔑視された下賎の身の宮大工・木家に柄にもない文学界の書物は一切不必要であり、寧ろ専門職として神社・仏閣造営に必須の相伝が不可欠である。

 それ故に、現在私が所持する掛替えなき一子相伝の極秘伝・社堂秘記・社堂木割、及びその他の参考絵図は言うに及ばず、永正9年(1512)以来500年に及ぶ汗牛充棟の稀覯文書は、昭和14年親父が含むところあって「断じて他見は許すな」と封印した厳然たる措置を堅持し、現在に至っている。
 一方、当報告書に述べている吉田の私家版(昭和62年5月)に言及すると、当人が門を叩いたのはこれより先、同51年のことであり、当時親父の封印を免れた残り滓(かす)の「雑記」だけは他見を許しても支障のない単なる覚え書きであることから常に自家薬籠中のものとして私の座右に置いているが、これには(1)〜(12)の如き記述はない。案ずるに自己顕示欲が旺盛な早とちりの吉田は、五畿内・近江六ヶ国の匠家を手当たり次第に渉猟する過程で焦燥に駆られ他家の文書と混同したものと考えられるが、当家にすれば「雑記」の存在は認めるが内容については全く与(あずか)り知らぬ迷惑であり、逆に実際の所有者にすれば甚だご不快なことであろう。

     ◆ 弁識能力が欠落した調査と事実誤認 ◆

 以上の如く、他家の文書を筆写する以外になす術(すべ)のない吉田の無法な遣り方について、現在巷間に流布している当人の自著は当然現代の活字であるのに対して、一方の木文書は幕府老中や、京都大工頭・中井家代々の当主が往時の和紙に書かれた御墨付きであり、何方(どちら)が信憑性が高いか、その雲泥の差は改めて言うまでもないが、これに対する私の疑念は吉田が原拠の通り忠実に筆写したか否か?その根拠となる一例を暴露すると、江戸時代では自己が所属する郡境を越えて他の大工組で作事をすることの可否について、甲賀郡匠家の文書を原拠とした黒正氏の著書(昭和2年)に、
『郡外に出向して作事をすることは不可』とは何処にも書かれていない。これに対して吉田説では、同じ黒正氏説を出典とし乍ら独断と偏見による先祖非難が高じ、終始一貫文書の捏造を常套とする手法により、『それぞれの大工は自己が居住する郡境を越えて他郡に出向することは不可である』と、独り善がりの大法螺(ほら)を吹き、その虚誕(でたらめ)の虚構(つくりごと)は飽(あ)くことを知らない妄想が絶えず自己の頭から離れない強迫観念となり、鼻つまみの受け売りは自分で墓穴を掘る天罰に他ならぬ。

     ◆ 権力の上に大胡坐(あぐら)を組む暗愚 ◆
 
 「鰯の頭も信心から」でもあるまいに、御多分に洩れず吉田説を過信した止事(やんごと)無い御身分の細見・山岸・村田は菽麦(しゅくばく)の区別すら知らずに下らない先入観に惑溺し、客観的・現実的な在り方を欠いた積年の病弊は、間違いだらけの讒構(無いものを事実らしくつくり上げた虚構)により、人間性を逸脱した荒誕(でたらめ)や、忖度の欠片もない虚実綯い交ぜの屁理屈を捏(こ)ね回し、その不毛の連鎖は妄想が妄想を産み、それが妨(さまた)げとなって真っ当な先祖を蔑視して溜飲を下げるという人間味の零落は、古文書を読む適格性と資質を喪失した妄挙と言わざるを得ず、筋の通らない先祖非難は亀毛兎角(絶対あり得ない)下種の勘繰りに過ぎない。

 以上の如く理不尽極まる吹毛求疵(取るに足りない粗探し)を競う細見・山岸は、如何なる遺恨によるものか、自己の不見識を棚に上げ、高木文書の内容を全て逆手にとって悪意に解釈し、折角先祖の微力によって蓄積された文化の結実を瞬時に瓦解させる愚かな判断の過程で、先祖に対する感受性の欠如と、持ち前の不遜により自己の能力を誇大に評価しようとする意図が読み取れるが、何の罪科(つみとが)もない先祖を敵視して無頼漢の如き難癖を付けるという喧嘩腰の感情論では残念乍ら自己の品位を下げるだけであり、職権を乱用した根拠なき中傷は、一顧の価値もないお笑い種(ぐさ)と言わざるを得ない。

 このように見識の欠落した連中は、論点整理の段階で文書に書かれた内容が把握できず、歴史的な真実をごまかして恬然としているが、先祖の来し方を「ボロクソ」に書く前に幕府法度を含む専門的な薀蓄を傾け、物事の真偽を区別できる識見や、矛盾を超越した弁証(弁別して証明する)能力が不可欠であり、それを踏まえ所とした論理の法則に従って結論を導き出す定見が求められるが、如何んせん空威張りの連中がもたらす不遜は有るか無しの虚勢を張って自分だけは人後に落ちないと威張り捲(まく)る一方で、専門的な現実に直面すると空足(からあし)を踏む偏狂では、「日暮れて道遠し」(目的の達成には程遠い)の感が否めない。

     ◆ 虚偽以外に言詞を知らぬ無能力 ◆

 先祖を陥(おとしい)れる謀略は、事実で無いことを公衙の出版物を媒介して世人を誤導し、その悪辣な手段は、事実に即応した真実を探求することなく、また、その力量もなく、ひたすら事柄の本質を半可通な思考によって軽んじ、誤った切り盛りは、目糞、鼻糞を笑う如く無闇矢鱈に先祖を攻撃する浅慮と化し、抽象的に考えるだけで具体的に考えようとはせず、その上で狭い了見に倚りかかって誇るに足らぬことを自慢たらしく誇り、自分では優(すぐ)れていると思っているが他から見れば大したことはなく、謂(いわ)れ無く先祖を愚弄する空理・空論は世人の冷笑を買うだけである。

 それ故に良心の呵責に駆られて実態を糊塗(ごまかしの処置)する弥縫策は先祖の尊厳を足蹴(あしげ)にし、自己の不条理な論拠に尤(もっと)もらしい屁理屈をつける事大主義(強大な者に追従すること)は実に噴飯の至りである。その悪弊(悪いならわし)は道徳的な理念を否定して自己は至上の存在と鉄面皮に思い込み、非合理な判断によって客観的な真理を疑い、裁量権の拡大を主目的とした性悪な調査手法は「沐猴にして冠す」古文書の調査に相応(ふさわ)しくない妄想(虚偽の申請等と頓狂な判断をした事実)を招来し、基本的な禁制(幕府による大工統制の法則)を些(いささ)かも認識せず、さりとて史実に基づく根源を突き詰める英知も無く、挙げ句の果てに信頼度の低劣な報告書を恥じらいもなく公表した醜態は、健全な文化の発展を阻害するという深刻な事態を招来する体たらくとなった。

 これらの常套は、理非を分別することなく同じ派の官人同士が与し、先祖に対する批判の域を逸脱した感情論で徹頭徹尾味噌糞に非難する排他的な傾向は、宛(さなが)ら文化の伝承と、慣習を拒否し、それでいて完璧な合理社会が創造できると考えている傲慢な態様は、事実を客観的に重畳することなく、単なる抽象的可能性に過ぎない鼻つまみの高木指弾は、その時どきの都合によって言説を弄(もてあそ)ぶ衆愚の集いに他ならず、それに起因する誤算の数々は、必ずしも確たる裏付けがある訳ではなく、単なる憶測を既成事実として表顕し、得意満面に顕示する異常さを異常と思わない奈文研の細見・山岸や県教委の村田・池野の自惚(うぬぼ)れた感性こそ途轍もない異常であり、どんなに策を弄して公権力の座に固執しても、到底真理を覆すことは不可能であり、民を侮(あなど)って驕(おご)れば、必ずや報(むく)いが訪れるものと観念せねばなるまい。

     ◆ 本質を虚構化した欺瞞の構図 ◆

 『虚偽』とは、「真実のように詐(いつわ)って見せかけるうそ・いつわり」であり、『虚偽の申請』といえば、」真実のように見せかけた「嘘」、「偽(いつわ)り」を一定(いちじょう、さも確実であるかの如く)偽って幕府に願い出ることである。それについて根拠もなく
『高木の先祖は虚偽の申請をして許可を得た』と決め付けた謂(いわ)れ無き不実、即ち「濡(ぬ)れ衣を着せられること」や、「罪が無いのに然も事実であるかの如く公表する無実の罪を冤罪という」と広辞苑に明記されている。

 この冤罪について、高木の先祖は弘誓寺本堂造営〔宝暦5年(1755)10月の奉願造作之事(建築願)〕を
『虚偽の申請をした』と誣告された証拠が当家に存在する。これの嚆矢(物事のはじまり)を詮索すると、弘誓寺本堂は昭和61年3月、一旦滋賀県指定有形文化財となり、続いて翌年6月、重要文化財に昇格されたが、問題の虚偽云々に関する証拠文書は、滋賀県と印刷された専用罫紙・全14頁に記載された調査報告書を県教委文化財保護課・村田信夫(当人自筆)から私に手交されたのは同59年秋(国宝・長寿寺本堂修理完了後)のことであるから、これは紛(まぎ)れも無く同61年、弘誓寺本堂・県指定に先立って作成された報告書と考えられる。

 以上の如く下種の勘繰りによる侮蔑かつ収斂なき愚昧は、本質の筋道を正面から論じた気配は甚だ希薄であり、先祖の尊厳を一切否定する姑息な手段は、人間としての品格を疑わしめるものがあり、御都合主義による敵対調査は客観的な真理を一切認めず、先祖に対する憎悪が充満した粗雑な表現や条理に外れた論難は衒学趣味の妄想に他ならない。

 次いで際限なく調子に乗り
「虚偽の申請をした」と揶揄嘲弄された申請書の提出先とは、元禄6年以降江戸幕府の公金で運営される「京都大工頭・中井役所」であり、ここに提出する願書はすべて公文書であるが、そもそも秋霜烈日の権威ある機関に対して金料玉条の法律を破り傍若無人に捏造した文書の提出が果たして可能か否か、その峻厳さは最終的に竣工検査もあり、これに背(そむ)いて虚偽の申請が罷り通るか否か、子供でも即断できる噴飯ものであり、非現実的な愚の骨頂である。

 加えてど素人の分際で
「高木が建築申請をした」とほざくが本件の場合、蒲生郡の高木に申請義務は一切無く、生半可な知識で事実を歪曲する作為的な中傷は、惚けた感性によって虚偽説を流布させ乍ら我劣らじと世人を誤導する見え透いた暴挙であり、分別なき幻想は衆人の謗(そし)りを免れない。

 このように思考が短絡化し、理念なき御託を並べて雪駄の土用干しの如く踏ん反り返っているが、肝心なところに触れない愚劣な論難は、物事全体像の把握に乏しく、この程度の範疇でしか肝脳が絞れないのか?猫も杓子も高木は虚偽云々と唱えて雀躍し、次第に村田、細見、山岸、池野と、その頻度を増幅させて観念(屁理屈)の具体性を追求し、矛盾を重ねて陰影を作っているが、それは評論ではなく、単なる三文小説に他ならない。

     ◆ 古文書の可視化が実現しない盆暗 ◆

 つらつら惟(おみん)みるに、本件にまつわる基本的な概念は、当初の古堂修理案を急遽新築に変更された退っ引きならぬ実情が理解できない連中は、物事の本質を探究して文書の行間や紙背を読む力量すらなく、ひたすら井蛙の見に基づく無定見の事実誤認により、意図的かつ興味本位に先祖を貶(おとし)め、狭小な解釈による不毛の入口論で虚偽の申請と断ずるのは如何にも匹夫の勇の如き短絡思考に過ぎず、世人の冷笑を買うだけである。

 案ずるに、単純には結び付かない二つの事物、即ち宝暦5年付の文書は、古堂の桁行を2間切縮めて建直す修理願書であるのに対して、一方の宝暦6年付の文書は日ならず当初の案が御流れになった事により、高木は間髪を容れず(新築用の)材料明細を寺院に提出した氷炭相容れない事実と、すでに廃案となった前者の本堂修理願を直接結び付けて「のほほん」としている短絡かつ中途半端な頭の悪さが先祖の英知に対峙し、その場のがれにしか物事を考えられない思慮の浅い人間との間に確執を生じたのである。

 其(それ)について、先祖代々斯道の分野に携わる大工組の根本法則即ち、京都大工頭・中井家を通じてもたらされる幕府法度に対して知ったか振りの難癖をつけ、有ろう事か寺蔵文書の内、宝暦5年付「奉願造作之事」は高木が虚偽の申請をした証拠文書であると、事実無根を公表し、先祖の来し方を土足で踏みにじる一方で、この文書は重要文化財「附」文書に価すると定見も無く推挙する等、即座に手の平を返す卑劣な日和見主義の自家撞着は真に不可解であり、その無様な軽挙妄動は天に向かって唾するに等しい。

 このように感情論を剥き出しにした独り善がりの筋書きに沿(そ)って、そこに証拠(不揃いの寺蔵文書)を当て嵌(は)めれば事足りると考えている無責任かつ浅薄な先祖非難は、単なる自己満足であって論理的な思考による的確な判断とは世辞にも言い難(にく)く、修理か、新築かの二者択一なら未(ま)だしも、焦点をはぐらかして前者後者共に味噌も糞もごちゃ混ぜにし、二律背反(あちらを立てれば、こちらが立たず)に封じ込める無知蒙昧こそ物事の本質を逸脱した所以であり、それは永い伝統によって構築された傲慢な属性と、形式的・独善的な官僚制度の病弊であり、真相をきわめず、表面だけを見て下す惚けた感性で不都合な事は全て高木の所為にする不遜は、現実から乖離した屁理屈を捏(こ)ね回しているだけの恥の上塗りに過ぎない。それは取りも直さず有るか無しの職位の高さよりも、汗牛充棟の高木文書を読破した子孫の経歴が物を言う(効果を十分に発揮させる)のである。

     ◆ 一貫性なき荒唐無稽の主張と妄誕 ◆

 物事の可視化は論理的な正誤が定(さだ)かでない限り実現は不可能であるが、脳味噌が不足した県教委による一連の愚鈍な調査は、村田説による先祖非難を嚆矢とし、都合五回にわたり先祖を犯罪者の如く愚弄する論点
(当初の計画であった拝領本堂の修理案が沙汰止みとなり、急遽新築に変更された現実)を無視した手前味噌の固定観念は、身勝手に二つの事柄(前者は修理、後者は新築)を短絡的に結びつけ、恬然として恥じない不合理を我関せずと卑劣な空惚(そらとぼ)けをし、村田説、細見・山岸説、山岸単独説、池野説、豊城説共に団栗の背競(せいくら)べの如く、『従来の本堂が大破したので天満御坊に解体して収納してあった古堂を拝領し、これを補修して今回(当初の計画)の修理に充(あ)てたい』と既に廃案となった古堂修理案をまたぞろ金魚の糞の如く執拗に引き摺(ず)り回し、一方では現存本堂(宝暦新築)を重複し、『今回の調査において転用材は確認されず、すべて新材であるので実際は新築であった』等と、「船に刻(きざ)みて剣を求む」(物事の移り変わりを知らず旧態を固守する)鈍感は、計画変更によって新築された本堂を糞丁寧に調査し、如何にも新築であると当り前のことを自己肯定して止まないが、バカにも程がある魂胆とは、当初の拝領本堂修理云々を「虚偽の申請である」と嘯(うそぶ)く虚構に零落し、即座に露見する屁理屈を妄誕とも知らず巷間に恥を曝(さら)けだして自分で墓穴を掘る戯(たわ)けた愚考は如何様にも度し難く、最早論ずるだけの価値すら無い。

 以上の如き誤想の濫觴である批評眼力の欠如は、対象となる古文書自体が難解であることから機能不全となり、心許ない誤謬に加えて自己の負数(マイナス)を認めない往生際の悪さが常態化し、それらが先祖に対する詐謀となったのである。

 其(それ)につけても
公権力を笠に着て無実の先祖を虚仮にし、如何にも幕府禁令を犯した罪人の如く疑いを差し挟み、挙げ句の果ては証拠(寺蔵文書)の事柄を身勝手に歪曲し、事実を捏造して巷間に喧伝した旗振り役の村田家の菩提寺本堂こそ、同人が最も忌み嫌う先祖によって造営された経緯もあり、自然的必然性の物事の成り行きが因果関係に支配され、その応報は遅かれ早かれ何(いず)れ来るであろう御自身の終焉に臨(のぞ)み、如何に蛇蝎視して糞味噌に非難する先祖作の本堂と雖(いえど)も、これだけは避けては通れまい。
PN   淡海墨壷