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2006年7月5日
高木敏雄HomePage

付会の説と県教委の敵対調査

宮大工 十四代 高木敏雄

     ◆ 論点を無視した非合理な構図 ◆

 宝暦5年(1755)神崎郡(現在東近江市)弘誓寺本堂造営に伴う普請願は、五畿内・近江六ケ国に居住する大工に限り、願主(申請人)自身が江戸幕府の出先機関・京都中井役所に出向して許可を得ることと定められていた。当時に於ける半農半工の我が近江国の大工編制は一郡一組の制であり、従って本件の場合、蒲生郡に居住する高木はたとえ正棟梁であっても郡大工組々違いにより建築申請の義務は(法の条理によって)一切なく、あくまで建設地、神崎郡大工組の地元大工に責務があった。また、中井役所という呼称が示す通り、公儀の当該役所に提出する書状は必然的に
虚偽の申請等は言うまでもない論外の公文書である。

 そうであるにも拘らず、肩書だけが先行した生半可な知識の連中は、自己の分際を一切顧みずに調査と大言し、
『高木は中井役所を欺瞞し、大坂天満御坊の古材を拝領した修理名目で申請して許可を取得し、実際は新築の本堂を造営した、つまり虚偽の申請をしたものである』と、幕府法度を皆目知らない「たが」の緩(ゆる)んだど素人が、当寺院に現存する諸訳(こみいった事情)の造営関係文書と、眼前の本堂との違和(対応すべき事物が不調和・不揃いである事実)の真相を究明しようとはせず、また解明でき得る力量もなく、只管(ひたすら)弥縫策のサル知恵を働かせ、表面のみを見た浅薄な判断は、事の本質を「おとな」の見識で論じた気配は甚だ希薄であり、一途に高木の陥穽を目論み、目的達成の為には手段を選ばぬ非人道的な枉法を弄し、無実な先祖の尊厳を否定する低次元な人間としての無様な品格を露呈した。

 このような下種の勘繰りの如き事実無根の難癖を付け、それでも飽き足らず軽慢な縦割り志向の権柄尽により、虚誕の愚説を抜け抜けと公衙の刊行物を媒体して垂れ流すことにより、専ら先祖を貶(おとし)め、幕府禁令破りの極悪人にすることで、逆に自己を善人に措(お)くという、事実と観念が一致しない卑劣な手段、言わば性悪な人間が、純真無垢かつ真面(まとも)な先祖に対して愚策を弄(ろう)し、懐疑と非難を浴びせかける愚蒙は、止どまるところをしらない匹夫に成り下がった感が否めない。
 註 高木非難の調査報告は、奈良文化財研究所、細見・山岸説、
   滋賀県教委、文化財保護課、村田・池野説による。


 これらの手法を剔抉すると、威張ること以外には能がなく、それ故に事理を弁識せず、大工法度を歯牙にもかけずに先祖を嘲罵する鼻つまみの差し出半学を衒(てら)い、それでいて吾人の専門分野に容喙して憚らず、無実な先祖を傷つけて雀躍する悪趣味の奸計により、折角の先祖による犬馬の労は無残にも打ち拉(ひし)がれ、とどのつまりは旧制度の残滓、(生殺与奪の裁量権)のみが大手を振って闊歩する醜態を演ずることとなった。

 この体たらくについて、最早「虎の威を借る狐」の因循は疾(と)っくの昔に凋落したにもかかわらず、尚も形骸化した悪習を享受し、その余波によって生じた終極の因果応報は天に唾する暴挙となり、迷妄のその果てに二進(にっち)も三進(さっち)も行かなくなった身動きならぬ狂瀾によって、事物が客観的に立証されぬままの悪態嘲罵の数々は、有ろう事か、自己の不見識を棚に上げ、先祖を蔑視することにのみ傾注するが、その結果の狷介固陋な遣り方は、自己の力量すら把握できない連中が一味同心し、未だに夜郎自大から抜け出せない人間の業(善悪の行為)が澱(よどみ)の如く沈潜し、自分だけは絶対に理があると信じて止まない恣意的な解釈により、終(つい)に枢要な論結を歪(ゆが)める事態に至ったのである。

 即ち、知ったか振りにより幕府が定めた建築統制に関する重要な知見は、限りなくゼロであるにもかかわらず、不都合は全て高木の所為(せい)であると決めつける唯我独尊の権謀術策〔巧みに人を欺(あざむ)く計略〕と化し、その結果呆(あき)れ果てた空想と虚妄がもたらした倒行逆施(道理に暗い無理押し)は、宛(さなが)ら現実を蔑(ないがし)ろにし、憶測による惑溺した抽象的観念論では、とても論理的に筋が通らず、衆人の謗(そし)りを招く毒筆の垂れ流しと表顕する以外適切な表現方法は見当らない。

 糅てて加えて高木忌避と憎悪の感情論は、粗雑な概念の虚構を一絡(ひとから)げにして実(まこと)しやかに既成事実化し、恬然とする無法は、理性を探究した様相、(可能的・現実的・必然的であるか否かという事物のあり方)に対する方法・手段を講ずることもなく、徒(いたずら)に微温的(中途半端)で、惚(ぼ)けた感性に洗脳され、先祖を糞味噌に中傷して溜飲を下げる不遜な仕業は、我々専門家の正常な判断と比較すると、甚だしく矛盾する異常な真理の胡乱(うろん)者と蔑(さげす)まれても等し並みに立腹する資格は毛頭なく、看板倒れの偽り表裏は遠からず自滅するであろう。

     ◆ 拝領本堂の古材調査と普請願 ◆

 高木文書によると、宝暦5年の半ば、正保元年(1644)以来の本堂が甚だしく損傷したのでこれの再建について本山(東本願寺)にお窺(うかが)いを立てたところ、幸い大坂天満御坊(現在の天満橋と、天神橋の間に淀川をはそんで古くは北渡辺・南渡辺と称した中間の地「渡辺の津」)に先年より畳置き(解体して積み重ねてあった)桁行・梁間共に11間本堂の古材を拝領し、梁間を間中(1間の半分)縮めて10.5間に、桁行は2間切縮めた9間に改造し、損傷した部材は取替、または補修し、軒先廻り、野地は全部取替て建直しする旨を立案された。

 高木但馬は下命により収納してあった古材の中から、取替材と再用材とを峻別した詳細な箇条書にし、これに簡単な絵図及び、梁間・桁行の切縮め寸法を付記した上で、重ねて後書きに
建築申請書を提出する地元大工の代筆として、『大工は本棟梁を蒲生郡八幡の高木但馬がこれを相勤め、諸事万端の指図をつかまつります。これによって当然高木方より御窺い(建築許可の諾否)申すべき筈のところ、高木は蒲生大工組、建設地は神崎大工組の範疇と、それぞれの大工組が違いますれば、よんどころ無く私、(地元佐野村の大工・利兵衞)が、脇棟梁の立場乍ら御窺い主(申請人)となり、是(ここ)に大工組の違う訳(物事の筋道)を立て申します。この上は本棟梁・脇棟梁の立場を互に遵守し、懇意(互に親しく、ねんごろに)につかまつり、無事に本堂建立云々』と、大工頭中井氏に陳情すると共に、申請人の大工利兵衞が組下大工である旨を保証すべく、神崎郡大工組頭・伊庭村の太郎右衞門も連署した。

 以上は京都大工頭中井氏を頂点とする六カ国大工仲間の定法(申請方法)であるにも拘らず、
細見・山岸説では悪辣な常套手段として、〔しかしながら「蒲生郡・神崎郡大工組と組違い申し候につき」と、わざわざこれに前文をつけているのをみると、その経緯は必ずしも平穏であったとはいい切れない。そこに高木一流の政治力が働いていたこと、矢川神社の例がよくそれを物語っている〕と、例によって無頼徒の如き難癖を付け、ここでも悪質な馬脚を露呈した。

 註 以上の事実により、建築許可書は寺院のものではなく、組頭・
   太郎右衞門に所有権があるものでもなく、ひたすら建築届の
   宛書に、「大工利兵衞へ」とし、大工頭から直接利兵衞当人に
   手交され、未来永劫これを営業実績の一端として自宅に保存す
   るのが慣例である。
   尚、前述の
細見・山岸説「矢川神社の例」とする指摘について、
   拙文、2004年8月『捩じ曲げられたプロの本懐』を御参照下さい。

     ◆ 新築に改変された複雑な諸訳 ◆

 弘誓寺本堂宝暦造営に関する必要不可欠な構成要素3点を抽出すると、
(1)同5年10月、地元大工が提出した(当初計画)修理願に対する中井役所の裏書、『御制禁寸法より梁延びと雖(いえど)も、格別の仔細により許可する』旨の修理許可書の写し。
(2)
これより7ケ月後、(同6年5月)当初の修理計画とは裏腹をなす第二次計画、(素建まで)の入用材を全て新材で拾い出した木材明細書(高木但馬筆)             〔(1)(2)共に弘誓寺文書〕
(3)近年の調査により、(2)の事実を裏付ける如く、現本堂は宝暦頃に新築されたものであると公表された報告書が次元を高くする。
                     (県教委調査報告書)

     ◆ 論点を逸脱した出鱈目の迷論 ◆

 前述の如く当初の計画では、古材を成るだけ用いる条件の修理許可を得たものの、その後諸般の事情によって
新築に変更された訳柄を貫穿すると、そもそも(1)、(2)、(3)の要素の内、(2)、(3)は不可分の関係即ち、新築の目的で拾い出した木材明細(2)と、これに基づいて新材で造営された既成の本堂(3)に対して、一方当初計画の(1)は、一旦修理許可を取得したものの、日ならず新築に変更されるや地元大工(脇棟梁)は間髪を容れず、焦眉の急務として中井役所に再申請し、その新築許可を確認した上で高木は改めて新築用の木材を拾い出し、寺院に提出した明細書が(2)の文書なのである。

     ◆ サルでも分かる物事の筋道 ◆

 以上の事由により
(1)の文書は宛(さなが)ら本堂造営の経緯を如実に示す貴重な文書であっても、計画変更後の推移を説明(証明)する論証とはなり得ない。即ち真偽を確定する為に(1)を分別なく前提とするには何人(なにびと)も二の足を踏む、換言すれば計画変更を切っ掛けに反古(ほご)同様となった文書と意識し乍ら作意的にこれを高木攻撃の糧とし、児戯に等しい『(1)修理名目の許可書』と、『(2)新築に変更したことによる七ケ月後の木材明細』とを刹那的に結びつけて味噌も糞もごちゃ混ぜにし、その為に枢要な論点を核心から外した間抜けた愚鈍、即ち暫時氷炭相容れざる関係しか持ち得なかった、(今となっては)不必要な(1)文書を底の浅い判断によって有ろう事かこれを棒腹絶倒する程大真面目に証拠立てとし、『これぞ高木による虚偽申請の証拠である』と、惚けた感性で理を非に曲げる誇張をし、単に果実さえとればよいという浅ましい野次馬根性の言いがかりは、取るに足らない不毛の連鎖に他ならない。

 それでも、事情の如何を究明しょうとはせず、生半可な知識による飛躍した事実無根、八方破れの所論は、
(細見・山岸説)『この両者(1)古堂修理名目の申請書と、(2)新材で拾い出した材料明細書を示す〕のくい違いは、どこから派生したかを考えると、それは新築の申請では不許可となる可能性があるところから、わざと古堂の修理・修復という事で目的を変え(捏造し、)つまり虚偽の申告をして無理に許可にこぎつけたとするのが妥当なところであろう』等と、この程度の知恵しかない愚にも付かぬ増悪と懐疑の感情論を捲く(まく)し立てて、逆に自己の無知蒙昧を曝け出す事に余念がない。

     ◆ 普請願と寺社奉行の竣工検査 ◆

 地元大工が提出した初回の修理願(宝暦5年10月許可)の原本は、定法により申請人が自宅に保存し、信憑性の低い唯の写し
(1)文書が寺院に現存するのは前述の通りである。明けて翌6年(春頃と考えられる)計画変更に伴い、今度は新築願を中井役所に再提出して新築許可を取得し、申請人は初回同様にこれも自宅に保管したが、一方、寺院側では後者の新築許可書の筆写はしなかったものか?また紛失されたものか、兎に角二回目(新築許可)の写しが寺院に残存すれば、先祖は『虚偽の申請をした幕府掟破りの大罪人』と嘲罵されずに済んだであろうが、それにも増して知ったか振りの調査で終始一貫、でたらめを書き捲った蒙昧な連中の浅慮の致すところを責めるのが先決である。

 このように本末が転倒し、自己顕示欲が旺盛で、
調査する資質も資格も無い人間が虚勢を張り、一つ覚えの如く「虚偽申請」ほざくが、元来幕府規制として、『品により(建物の程度により)見分の者(検査役人)を差し遣(つか)わし申し候事』と定めており、証拠として卑近の例を示すと、同6年に高木が造営した八幡・日牟礼八幡宮、同・西光寺、安土・浄厳院の竣工検査に際し、中井家頭棟梁1名、与力2名により『見分相済申し候』とする高木但馬の覚書が自家薬籠中の物として存在するが、このように幕府による秋霜烈日の法規の邪曲(よこしま)・違反に厳正で権威ある中井役所に提出する公文書の内容を改竄した詐欺が果たして罷(まか)り通るか否かは火を見るより明白で疑う余地のない論理であり、全ては頑陋な人間が賢しら知識で先祖を非難した、みっともない悪業の成れの果てである。
     ◆ 已んぬる哉、杜撰な高木文書調査 ◆ 

 元来、古文書調査の意義とはそれぞれの専門分野に沈潜し、文面に現れていない筆者の真意を透察することにより、印象(感銘)を受け容れる能力(感性)と、事の本質を洞察する力を享受した結実の成果、即ち、書かれた訳柄を切実に受け止め得る力量と、該博な知識を薀蓄し、その上で批評するのが普遍的であるが、今回の高木文書調査ではこれ以前の問題として、根本の第一義である旧時代の文字が読めず、また、仮令読めたとしても幕府が定めた大工統制にまつわる専門分野の要諦が皆目把握できず、暗中模索の判断では、今となっては已(や)んぬる哉(かな)〔どうにもなすべき方法がない〕挙句の果ての陰湿な感情や、歪んだ情念に基づく卑劣な手法は、無辜の先祖を撫で斬りにした上で
謂れ無き事実無根の虚偽事項をぬけぬけと公表し、加えて権力を乱用した見掛け倒しの連中が事実を歪曲して垂れ流す悪行は、不調和で理不尽な矛盾を殊更に深刻化させ、事も無げに悦楽を貪る性悪な倒行逆施(道理に逆行するごり押し)は、肩書きとは裏腹に、人間として情味なき最低の極限に値するが、このように社会通念を覆す残酷で悪辣な遣り方は職権乱用の謗(そし)りを招来し、却(かえ)って自己の愚かさを表面に曝け出す愚の骨頂でもある。

 以上の如く歪んだ先入観
(特に本件に限っていえば、郡外作事は不可と恣意的に決めつけた思考)を根幹とする謬見は、幕府の準則までも蔑(ないがし)ろにした横柄と、多面的に矛盾が横溢した独善や、偏狭した観念は、往事に於ける法の概念までも捩じ曲げる不当な枉法となり、それらが高じて先祖を下瞰する不遜な思潮が本流を占める傾向となった。

 このような倫理の基本を逸脱した不穏当な軽視により、先祖による犬馬の労や文化的な所産を阻却した場当たり的な策略は、焦点の定まらない
活字の暴力と化し、取るに足らない屁理屈と筋の通らぬ暴挙は次第に物議を醸成し、世辞にも論理的思考による的確な判断とは言い難いものがある。

     ◆ 由々しき事態と問題意識 ◆

 現今、道徳心が頓(とみ)に崩れ、人間生来の性(さが)や身勝手な欲望を肯定的に捉(とら)える思潮が一挙に噴出し、これが先祖作品の策定についても、文化審議会の人々が折角価値あるものと認められた建物の調査や修理に際し、自己は至上の存在と過信した
奈良文化財研究所、細見・山岸説、県教委、村田・池野説では、差し出半学による単一的で悪意に満ちた中傷を表立って主張し、先祖攻撃に対する臨戦体制の旗幟を鮮明にした。

 これについて県教委の村田信夫氏に苦言を呈したが、
「今は何を書いても自由である」と法の欠片も識らない無責任かつ突慳貧な回答があり、人選(調査員)の杜撰さと、実質の伴わない理不尽に唖然とし、反撃する矛先の変更を余儀なくされた。これについて妻が教えてくれた当を得た迷句、
 「頼りないのが頼りにされて、
         頼る頼りが頼りない」    (よみ人しらず)
 以上の如く、県教委の面々は先祖を攻撃する無駄や、不必要な骨折りをしてまで事実無根の調査発表を実施しなければならない程「轍鮒の急」であったのか否か?私の凡慮では到底理解できない。下手な考え休むに似たり、実(げ)に度し難きかな。

     ◆ 小人過つや、必ず文(かざ)る ◆

 〔先祖を虚仮にした小人物は、過(あやま)ちを犯しても一向に改めず、卑劣にもあれこれと繕(つくろ)い飾るものである〕これについて閑暇をもて余す面々は、事実に即して真実を探求する(実事求是)ことなく、自己の不見識を棚に上げ、正当な理由・根拠も無く、無実な先祖を
幕府法度を破った大罪人の如く公表して憚らないが、この理不尽な冤罪について、血縁の私が先祖に対する敬愛追慕の念からこれを不服として内実を問い糺すのは、草莽の臣に与えられた至当の権利である。

 今回、止事(やんごと)無い県教委の人間による澎湃な敵対調査は、宛(さなが)ら砂漠に水滴を垂らすが如き徒労と、背中合わせの皮相を漂(ただよわ)せて得意満面としているが、一方、書かれた側にすれば
怨恨が命竭(つ)きるまで釈然とせず、傍若無人の蛮行は短絡的で、暗闇の中の微(かす)かな光明に他ならず、この人間味の欠落した屋上屋架す蛇足は、取りも直さず隔靴掻痒の感が否めない無味乾燥の失笑を買うこととなった。

 これについて先人の名言に『事物の一端を見て大勢(たいせい)を識る』とある通り、狡猾な連中が先祖の正道を意図的に歪曲し、剰(あまつさ)えこれを分別なく肯定する浅薄な不所存は、軈(やが)て正しい道義まで放棄している愚かな自分に覚醒するであろう。それにつけても瓦全(自己保身)と、力量の不足した連中が九牛の一毛たる愚にも付かぬ感情論に終始一貫して現(うつつ)を抜かしているが、
この程度の定見なき次元の低さで人並みに先祖を論(あげつら)う資格は夢夢些(いささ)かも無く、況(ま)して表現の自由(村田説)とは笑止千万、鳥滸(おこ)がましい偏狂である。

 そもそも表現の自由は、民主主義を支える重大な権利(21条)であるが、表現の自由以上に重いのが、全ての国民は個人として尊重されている事実(13条)であり、公権力を楯に威張り捲(まく)り、反りくり返って先祖を嘲罵するのは、先人の人格を軽んじていなければできない傲岸不遜な愚考である。これが立場を変えて、もしも自身が私と同じ憂き目に遭遇したとき、果たして相手を恨まない確信があるのか?惻隠の情なき連中に訊問してみたいものである。

PN   淡海墨壷