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2009年1月16日
高木敏雄HomePage

度が過ぎた侮辱と理念の無い御託

                    宮大工 十四代 高木敏雄

 「東近江五郡の郡組について」という誇大な公告で始まる吉田の論説は古文書の枯渇が禍(わざわい)してか?見掛けは立派でも実質が伴わず、(三郡の事象以外は書かれていない)本末が転倒した悍(おぞ)ましい中途半端な毒筆は、折角善意で閲覧させた高木文書を故意に改竄して後脚で砂をかける意趣返しと化し、人間として有るまじき道義の喪失や、懐疑と憎悪に満ちた先祖非難は吉田独自の早とちりによる主観的な要素(自分本位の考えに基づく意思表示)が多く、迚(とて)も高度な専門性と多様な経歴による総合的判断能力を具有しているとは言い難く、只管当家文書を踏み台にした自己顕示と、独り善がりに他ならない。

  
  ◆ 郡内を五分割した大工支配の変遷 ◆

 寛文8年(1668)新築建造物の梁間寸法は3間(げん)を限度とする規範に次いで、貞享3年(1686)年毎に増加する大工人数に対処すべく、幕府法度や大工頭・中井家の指示を洩れなく伝達する目的で郡内を五分割した最寄(もより)の制度とし、これに大工年寄を一名づつ配置して法令・法則の遵守を徹底すべく、『たとえ親・兄弟といえども違反した者は些細な事でも大工年寄に知らせる事』という中井家の約定を仲間同士は愚直に実行したが、一方の大工年寄はそれぞれ配下大工の追従に酔い痴れ、我劣らじと互いに一番手柄を競う同業者意識が高じ、挙句の果ては以上の取り決めを管理する大工組頭・高木を目の上の瘤(こぶ)と疎(うと)んじる逆恨みに凋落し、互いに虎視眈眈(こしたんたん)と目を見据(す)える体たらくとなった。

    ◆ 幕府直轄の天領政治と私領の差異 ◆


 先祖が統轄した蒲生郡は地域が広大なこともあって天領と私領が入り交(ま)じり、取り分け尾洲領(尾張藩)は天領に比べて何事も恣(ほ)しいままの傾向にあった。一例として蒲生郡山上村(現在竜王町)の大工年寄が高木に宛てた書状には、『同村の与兵衛が各地で大工を雇い、無届けで仕事を始めたので大工組の作法に従うよう申し入れたところ、村役人の仲介によって尾州様(藩主)の御免(容認)を得ていると主張して聞き入れず、加えて領内の大工は心の儘(自由)であると高をくくる実態では、これ以上放置すれば他領にまで類を及ぼす懸念もあって差止めも難しく、また遅きに失すれば大工の作法も立ち申さず、尾洲表(政治機構)に何(なん)とか申し入れて欲しい』と具申(意見を申し述べる)した書状が届けられた。     
                           (高木文書)

 註 この書状の意味深長な事柄は先祖・但馬の筆跡で
「これは
   山上村の大工が具申した書状」
とわざわざ付箋をつけてい
   るのをみると、何(いづ)れ惹起するであろう最寄の故障
  (後述する悶着)を先祖はすでに予見していたものと推察さ
   れる。

 
   ◆ 起るべくして出来(しゅったい)した叛乱 ◆

 申年8月付で中井家役人3名が高木に宛てた文書〔最寄の不平分子が連判して高木但馬の退役を求めた紛争〕の経緯を検討すると、当時の中井家当主・藤三郎正武氏は、前年の9月に大工頭に着任した弱冠(じゃっかん)に満たない18才であったことから(最寄の故障に基づく)裁決の取置き(処置・処分)について、受理した案件(処理すべき事柄)が特殊な大工組内部の悶着であることから、組の運営に精通した(当事者である高木を除く)同業者、野洲・神崎両郡の大工組頭に仲介を依頼され、〔取さばき(上手く処分する)〕の結果、日ならずして双方が和睦し、争論が落着した旨の一部始終が明記されている。           (高木文書)

    ◆ 実態以上に誇張した吉田の謬説 ◆


 これに対する吉田の常套的な早とちりは、吸毛求疵(毛を吹いてまで隠れた傷を求め独断で思いのままに事を決する)卑劣な妄想は、真相を究明せず表面のみを見て下す浅薄な判断により、
『高木但馬の時代に、江州蒲生郡大工組頭・高木但馬の退役を最寄の年寄・大工より相願い候儀とある如く、単なる高木と組下大工との対立であり、高木の地位は必ずしも安泰ではなかった』と論点を無視し、虚実が混交した虚構(作りごと)を捲(まく)し立てた。

 一方、同じ穴の狢(むじな)の吉田と共に先祖に対する悪態・嘲罵を競う山岸常人は疑心暗鬼に嘖(さいな)まれ、
『高木は組頭追放の願い出を中井役所との直接交渉によって却下させた事実にみられる如く、中井家との密接な係り(かか)わりに求められる』と事実無根、意味不明の世迷い(よまい)言を並べているが証拠もなく先祖が違法行為をしたかの如き冤罪紛いの出任せは人倫の根源に背くものであり、客観的な歴史上の事実を直視せず整合性を欠いた吉田・山岸の素人判断によって愚にも付かぬ空想と、剥(む)き出しの感情を露呈した出鱈目の論述は、熟読玩味が不十分な一夜漬(僅かな時間で仕組んだ噴飯の小説)であり、満天下に恥を曝(さら)け出す無様な虚勢に過ぎない。

 以上の如く矛盾の連鎖に加え、理性まで駆逐したごまかしの論法は先祖を非難する以外能がなく、大口を叩く割には然(さ)したる成果は挙げられず、粗雑な論詰(きつ)と暴論で歴史的事実を歪曲し、抽象的な観念論に感(かま)けて具体的・理性的な方法を検討せず、認識の甘さを露呈することに余念が無い。

  
  ◆ 先祖を罵倒して優位を競う悪趣味 ◆

 県教委という公権力を乱用した高木文書の粗探しは自己の分際を弁(わきま)えず先祖を敵視して得意になっているが、普遍的な条理に鑑みて考察すると、事の本質を透察でき得る能力を享受し、それを自己の心情で受け止める専門的な力量が求められるが、吉田・細見・山岸による悪態は皮相的で本質の究明には至らず、人間性を逸脱した事実無根の中傷は自分を過大評価しようとする意図が読み取るが、如何なる遺恨に拠(よ)るものか?根拠も証拠も無く高圧的な先祖非難は衆人の謗(そし)りを免れず、況(ま)してその支障を招来した根源は、公権力を盾にした不遜が本流を占める扱(こ)き下ろしに他ならず、そこには視野狭窄に陥った人間の業が澱(よどみ)となって凝縮している所以である。

 加えて興味本位に先祖を虚仮(こけ)にし、溜飲を下げる匹夫下郎は人の痛みに対する感受性に乏しく、情味の欠落した活字の暴力は本質的な問題の在り処を見誤り、多面的に横溢した衒学趣味は未知の領域を脱することができず、たとえ自分の愚考により真実と信じる理由があったにせよ詰めの甘さに起因する苛(いら)立ちは、却って矛盾を深刻化するだけで論理的思考に基づく的確な判断とは言い難く、自分に無いものに対する猜疑と羨望が障壁となり、先祖を一方的に非難した挙句の果ては理不尽だけが大手を振って横行する凋落に成り下った。

    ◆ 永遠に忘れられぬ極悪非道な手法 ◆


 つらつら惟(おもん)みるに、室町時代末期創業の業績を子孫として胸中誇りにしてはいるが、然(さ)りとて表向きに自負した覚えもなく、常に先祖の足跡を思念するのみである。それ故に腑抜けでもあるまいに『古文書を見せます』と看板を掲げている訳でもないが、己(や)んぬる哉、既刊(蒲生郡志・八幡町史・他)によって高木文書を嗅ぎつけ〔親の遺言により、特別の稀覯文書(長持三棹分)は未だ封印を切らず〕その残り滓を昭和62年、当方の入院中を知り乍ら文書を見せろと強迫された所業に含むところあり、一部の文書のみ不請不請「これで全部」と偽り、辛(かろ)うじて虎口の難を免れた。

 案の定、見掛け倒しの調査は旧時代の文字が読めたとしても行間と紙背が読めず、そのため内容を捏造して文化の破壊を目論む恥知らずの無様は、我々とは全く価値観が異なる偏狂な一言居士(何事も自分の意見を一言しなければ気が済まぬ性格)が、惚(ぼ)けた感性による筆誅で自分の墓穴を掘る青臭い論述は、先学吉田高子の悪影響により偏見を分析する過程で感情的になり、先祖を愚弄した主観丸出しの歪みを生み出す手練(人をごまかす手段・技巧)は、全ての古文書の解釈が事実無根であり、誠に以って鳥滸(おこ)がましく、空いた口が塞(ふさ)がらぬ古今みぞう(未曽有)の迷妄に終始した。

   
 ◆ 大工組の脱退と、潜り大工の取締り ◆

 元禄初年(1690)頃に結成された大工仲間は、時代の趨勢と共に大工高を有する幕府公用大工に対して無高の平大工が増加すると、彼等は必然的に大工頭・中井家の支配を逃れて縛(しば)りの無い大工組の分立を主張し始め、中井家支配下の大工組運営に亀裂が生じた。その経緯に言及すると、元文5年(1740)3月、東近江五郡(神崎・蒲生・野洲・甲賀・栗太)の大工首脳が一堂に会して証文を手交した会合には甲賀郡大工組頭失脚による代理として同郡大工年寄が出席され、(甲賀郡のみこの状態で幕末に至る)その他、管見によると野洲郡では幕末までに十人以上の組頭の交替があり、その他神崎郡でも三名の交替が見られる如く大工頭が奨励してきた世襲による困難が垣間見えるが、中井家ではこの事態を拱手傍観することなく、支配下の大工に印札(鑑札)を交付してこれの携帯を義務付ける等、組頭を通じて「抜け大工・もぐり大工」の取締りを強化した。

 御多分に洩れず、蒲生郡大工組では前述の会合より11年後に御鉢が回り、一部の不穏分子は〔自己の意の儘にならぬ(大工組の分立を阻止する)組頭・高木を罷(や)めさせろ〕と、連判状を中井家に提出した。

   
 ◆ 何事も先祖の所為にする吉田の奇策 ◆ 

 『大山鳴動して鼠一匹』吉田による前触れの騒ぎだけが大きい日常茶飯(有り触れた物事)を殊更大袈裟に書き捲(まく)る自己顕示の旺盛な吉田の虚妄について先祖の覚書を繙(ひもと)くと、『単なる最寄の故障』〔正常な大工仲間の運営が害(そこな)われる事〕とあるのみで、恬然として屈託が無い。

 止むを得ずこれを解明できる唯一無二の自家薬籠中のもの、即ち吉田による中傷の真偽を判定できる命題、(中井家役人より高木に宛てた書状)に、
『蒲生郡大工組頭高木但馬退役について』とあるだけで粗忽者・吉田の常套手段(馬鹿げた早とちり)により『高木の地位は必ずしも安泰ではなかった』と、事実無根の害毒を撒(ま)き散らす論理の飛躍は箍(たが)が外れ、底の見えすいた茶番である。

 このように視野の狭い感情論に拘泥した吉田の奇策(先祖に対する侮辱)は、江戸幕府より工匠保護の特権(諸役の免除)を与えられた蒲生大工組頭・高木に対して
「地位が没落の一途を辿る」物騒な大工に今後も大工組の運営を委託されるであろうか?それでも先祖に難癖を付ける吉田の悪態は止(とど)まるところを知らず、狂気の沙汰と表現する以外考え難いが、中井家より高木に宛てた書状にはこの争論について『当初より高木退役願に連判しなかった人や、一旦連判したものの取り消した人もある』とし乍ら、その他の人々も残らず和解に得心し、改めて誓約書に連判した人々共に従前通りに働くべきことと大工年寄に申し渡しておいたが、それでも心得違いの輩(やから)に組頭が難儀するときは、今後は大工職を辞(や)めるのか、否か、確認した上で書状(廃止届)を提出させ、それでも異議を唱える輩は当役所より大工職は許可しない旨を申し渡し、今後最寄の大工が諸事の申請をするについては先ず年寄に申し出で、年寄から高木に伝達することとし、年寄を差し置いて組頭に直接申し出ては不可と、命令系統を密にした。」
     
PN   淡海墨壷