トップページ
2007年8月17日
高木敏雄HomePage

地に墜ちた審美眼と虚誕の調査

宮大工 十四代 高木敏雄
     ◆ 鼠は壁を忘れ、壁は鼠を忘れず ◆

 表題を愚直に解釈すると、〔自分の思惑で壁に穴を開けた『鼠』は迷惑をかけたことなど忘れてしまうが、これに対して不本意なことで打撃を被(こうむ)った『壁』はこの恨(うら)みは永久に忘れない〕つまり、受けた痛手は終生忘れることができないが、害を加えた連中はすぐ忘れてしまうという野放図な恩盗人をいう。

 今般、唐突に社会に与えた動揺
(10)細見・山岸による妄説は、論証(物事の道理を判断し、真偽を確定すること)の危惧が表面化し、次第に没論理(論証の筋道を無視する)傾向となり、基本的な概念すら理解せず自己を至上の存在と身勝手に思い込み、それ故に客観的な実態が把握されているとは世辞にも言えない非合理な判断に基づき(8)吉田による『郡外への出向は不可』を一方的に信じて決め付けたものの、何処が真実であるかという論点をめぐり、ど素人であるが故に物事の真偽を見極める力量も無く、只管(ひたすら)無定見(一定した見識が無い追随)な事実誤認により、意図的に先祖を貶(おとし)める事に余念が無い。

     ◆ 郡外作事と地元大工・九兵衛の立つ瀬 ◆

 享保20年(1735)甲賀郡大工組頭が退席し、組内の統制が乱れ始めた13年後の寛延元年(1748)9月、蒲生郡の高木は矢川神社別当様より御依頼の社殿改築絵図・見積書を提出し、これにより神社側では日ならずして役員会議が開かれたが、その席上で九兵衛は同神社の氏子であることから「自分に指名されて然るべき」の思惑外れにより不満が噴出した。

 その後の九兵衛の動向を知るものとして、3年後の宝暦元年9月8日、中井役所に提出した「九兵衛口上書」〔実際は当該本殿造営の請負を諦(あきら)めた顛末(てんまつ)書〕の冒頭に、『この度、江州甲賀郡矢川明神普請の儀について、先達て(過日)申し上げ奉りおき、在所へ帰り候』と述べていることから、前述の初回の役員会議の直後に陳述の目的で中井役所を訪問していることが明らかである。次いで「同口上書」の後段にも『先達って惣右衛門・喜右衛門(何れも九兵衛の大工仲間)と私の三人で御上様(大工頭中井氏の敬称)へ申し上げ候は』とあるのは冒頭の文言と重複しているものの、今回の本殿造営に自分が指名されなかった事の愚痴こぼしに上京した事が判明する。

     ◆ 口上書の意義を捏造した虚誕と虚構 ◆

 地元大工・九兵衛の憤懣(ふんまん)やる方ない心情を忖度するかの如く、
(10)細見・山岸は、昭和62年3月『蒲生郡大工組頭・高木作右衛門の作事』の内、「矢川神社本殿造営」にまつわる事実無根・冤罪紛いの暴論を炙(あぶ)り出すと、

 
 高木支配の排斥は多方面でみられる。高木は郡大工組頭としての強力
  な地位を利用してか、郡外でも仕事をするようになる。例えば、甲賀
  郡矢川神社造営はそれである。しかし、ここでも高木は地元の大工と
  問題を起こしている。矢川神社文書中、宝暦元年(1751)9月の口上
  書は、甲賀郡深川村の大工年寄・九兵衛から中井役所に出された文書
  の写しである。これには『高木但馬が矢川神社の造営に携わることに
  対し、地元大工がそれを停められん事を願い出た文書』である。この
  場合、矢川神社別当の依頼であるため高木が仕事ををすることになっ
  たが、こうした強引なやり方が、各地の大工と争論を起こすこととな
  ったのであろう。     「細見・山岸の原文を忠実に筆写す」

     ◆ 地元大工の陳情と断り状の意義 ◆

 『屁理屈と膏薬は何処にでも付く』と言われる通り、〔ェ延元年(1748)9月〕社殿造営に関する役員会議の直後に地元大工が上京して大工頭に陳情した事実と、それより3年後の〔宝暦元年(1751)9月8日付〕の口上書を比べると、前者は地元大工が上京して心底を吐露した子供の告げ口に等しく、当の大工頭自身高木には瑕瑾が無い、(建築主が郡境を越えて好みの大工に仕事を依頼するのも、逆に依頼された大工がそれに応じて郡外に出向するのも自由である)という葛藤に対して大工頭にすれば雌雄を決するのに困惑されたであろう。

 これに対して後者
(10)細見・山岸による根拠無き高木非難(前述の赤字の部分)の中程に、『矢川神社文書の内、宝暦元年9月8日の口上書は地元大工から中井役所に出された(高木に対する)社殿造営工事の差し止め請求である』と錯覚しているが、これについて私が反論する根拠とは、矢川神社文書を筆写した細見・山岸が、『高木支配の排斥は多方面で見られる』に始まる高木非難は、地元大工による口上書と一字一句間違いの無い同じ主旨の文書であり、それの写しなら私の手元にもあるが、かりそめにも同じ文書で双方の内容が大幅に異なるのは細見・山岸が改竄・捏造した証拠であり、子供でも看破できる噴飯の極みは逆に世人の嘲笑を招くだけである。

 糅てて加えて口上書は(後述する通り)九兵衛が当該造営の請負を断念した挙げ句、大工頭に対し断り状として認(したた)めたもので、これは懸案の発生より3年も経過しており、このとき差し止め請求を提出するのは遅きに失するのである。

     ◆ 巧みに人を欺(あざむ)く陥穽と謀略 ◆

 (10)細見・山岸の妄説に止めを刺す目的で再度「口上書」の論点に拘泥すると、九兵衛は当初大工仲間2名を含む3名で上京し、御上様に申し上げ奉り(何を申し上げ奉ったのか脱落しているが、)一旦自宅に帰り、後日改めて八幡但馬方(高木宅)を今度は喜右衛門(大工仲間)と二人で訪問し、但馬の心底を承るべく参上したが他行(留守)致しなされ、空罷(からまかり)帰り(無駄足)であった。然(しか)るところ(そうであるのに)未否(工事は未だなのか?するのか、しないのか?)の返答もないままに、新庄村の惣右衛門(大工仲間)が神社の別当さんに対してどのように申されたものか、九兵衛を省(はぶ)く氏子の寄合の席で、『新庄村惣中の世話で話し合いは調(ととの)い、その上で御裏印も相済み(中井役所に提出する建築願まで完済した)』と、有ろう事かこれを九兵衛が神社から直接耳にしたのではなく、会議の帰路たまたま同氏宅に立寄った村人からこれを聞いたと述懐しており、この事実によって九兵衛は神社側からも疎(うと)んじられ、蚊帳の外に置かれていることにやっと気付く。加えて、八幡の様子も知らない(高木が留守であった)内に村人から『京都の手続きも相済み』等と九兵衛の存在を無視した寝耳に水では納得も難(むつか)しく、大工頭に対し恐れ乍ら御断り申し候と抜き差しならぬ状況に陥り、幕を閉じることとなったのである。

 以上の事象により先年以来の懸案の帰趨を左右され、九兵衛はここに至り自分の意志でやっと断念されたが、これについて性悪な
(10)細見・山岸は、『高木が矢川神社の造営に携わることに対して、地元大工がそれを停められん事を願い出た文書である』と、現在風にいえば高木に対する工事差し止め請求に充当するが、前掲の口上書にはそのような事実は一切書かれておらず全て性悪な細見・山岸が仕組む下種の勘繰りと捏造である。

     ◆ 地元大工・九兵衛謝罪証文之事 ◆

 細見・山岸の見え透いた悪態は遂に馬脚を露(あらわ)し化けの皮が剥(は)がれてボロを出すこととなった。その命取りになった諸刃(もろは)の剣とは、九兵衛が矢川神社本殿請負を断念し、中井役所に断り状を提出した翌年(宝暦2年10月付)の文書が当家にのみ現存する。その内容は『去る辰の年(ェ延元年)矢川神社造工に関する相談の席上、拙者無調法(考え違い)を申し上げ謝罪します』と述べ、『この度の御造工について細工一式を高木但馬にお頼みなされ、この上は釿始め・棟上の連中にお加え下さるようお頼みしたところ、その通りに御了簡(取りはからい)下され、ありがたく存じます。この上はどのような事でも御指図次第に致し、若し行き届かぬ事あれば、一言の異議も申さず早速に退去致します。』と誓約書を提出し、謝罪した。                「高木文書」

 以上によって前者・九兵衛口上書と、後者九兵衛謝罪状とを突き合わせると、前者は
細見・山岸が改竄・捏造した事は火を見るよりも明らかな誣告であり、後者は正(まさ)しく先祖が残してくれた伝家の宝刀である。

     ◆ 論点を摩(す)り替えた問題の構図 ◆

 その他、これに類する物的証拠として私の手許に〔重要文化財・弘誓寺本堂調査報告書〕(B5判・全14頁・滋賀県と印刷された専用罫紙)がある。その10頁に
『大坂天満御坊の古堂を拝領して再建云々とあるが、実際は高木が虚偽の申請をしたものであり、(その証拠として)現存本堂に古材を用いた形跡は無い』と虚実相半ばする衒学趣味(知識のあることを見せびらかして自慢する)の根源を探求すると、この報告書には記載した年月日及び筆者名が脱落しているものの、昭和59年12月初旬、県教委・文化財保護課・村田信夫から私に直接手交された歴然たる経緯があり、文中に「八幡大工・高木大工」を多用する変哲かつ独特の書き振りは、同人以外にその類例を見ない。況(ま)して先祖を掟破りの犯罪者の如く罵詈讒謗した調査報告書を臆面もなく子孫の私にこれ見よがしに突き付ける鈍感かつ無神経は、私には到底理解できず、一顧するだけの価値ある報告書でもない。

     ◆ 員に備わるのみの無責任な調査 ◆

 
村田が作成した当該報告書の原拠は江戸時代中期に書かれた文書の写しであっても、日本の言語で書かれた寺蔵文書を筆写するについて、公正に判断する理念の欠如により真摯な文書を興味本位に愚弄し、『高木による虚偽の申請』とうそぶくが、それは恣意的な自己満足による事実であって、私共プロが認定する真実ではない。その実証として中井役所に提出する建築申請人は高木ではなく、
      神崎郡塚本村  大工・勘兵衛
      同  佐野村  大工・利兵衞
に提出義務があり、次いでこの人々が組下大工であることを保証する「神崎郡大工組々頭・太郎右衛門」が連署しているだけで、
虚偽の申請をした等と、根拠もなくど素人によって容疑をかけられ、バカにされた高木但馬の名は見られない。縦(よし)んば文字が難解であったとしても、申請人が高木ならば字の数は4字であり、一方、地元大工による申請ならば3字である現実は、子供の戯(たわむ)れにも劣る冤罪の構図がぎっしり詰った性悪な連中による悪巧みに他ならない。

 一方、
『申請書の提出先』は、これより61年遡(さかのぼ)る元禄6年(1693)中井家は江戸幕府の公金で運営される『中井役所』となり、従ってこれ以降当役所に提出する書状はすべて「公文書」に変様したが、彼等が主張する「虚偽内容の公文書」が果たして罷り通るか否か?取るに足らない言いがかりは自己も公務員ならば火を見るよりも明白であり、言語道断である。

 また竣工検査には与力2名と、中井役所から頭棟梁1名の実地検分があり、「高木文書」不正な行為は瞬時に露見するが、苟(いやしく)も申請程度の利益の為に火中の栗を拾う間抜けた奴は、金(かね)の草鞋(わらじ)で捜し求めねば見付ける事は到底不可能であり、全ては下種の逆恨みである。

     ◆ 文字の行間が読めない盆暗者の調査 ◆

 先祖が原案を書いた弘誓寺本堂の建築願について、県教委の
村田及び奈文研の細見・山岸に加え、これに矮子看戯した池野は正当な理由・根拠もなく『高木は新築で申請すると不許可になる可能性があることから、故意に古堂の修理という名目に変更し、つまり虚偽の申請をして無理矢理許可に漕ぎ着けたものである』と、建築願(奉願造作之事・宝暦5年10月)の内実を不当に歪曲・改竄した。

     ◆ 一犬影に吠えると万犬その声に吠える ◆

 一人が間違ったことや事実に反することを言うと、多くの人々は安易に付和雷同し、これを信じて衝動的な言動をする傾向にあるが、これについていみじくも言い得たこの教訓を心の糧(かて)とし、前述の
(10)細見・山岸・村田による気違い染みた匹夫下郎の勇『高木による虚偽の申請』を雪冤する一助として『重要文化財・弘誓寺本堂・附文書』を詮索すると、差し当って次の(1)、(2)がこれの対照となるのである。
   (1)奉願造作之事、        宝暦 5年10月
   (2)本堂素建までの木材明細    同   6年  5月

 先ず(1)文書及び先祖の造営覚書き・高木文書の3点を突き合わせて勘案すると、高木は建築願〔願い奉(たてまつ)る造作之事〕の提出に先立って、天満御坊の古堂(桁行・梁間共に11間)が寺院敷地の都合によるものか?桁行のみ2間縮小して9間にすることと定め、『各部材を繕(つく)ろい、精(しら)げ、成るべく古材を用いる』旨の修理方針を樹立した上で、中井役所の定法(申請書の提出要領)に則(のっと)り、
地元大工(助棟梁)に取替材・再用材を含む木材明細及び略絵図を中井役所に持参するよう依頼した。

 大工頭・中井主水はこれを許容する旨の裏書きをした上で表面の下方に「大工・誰々へ」と地元大工宛に認(したた)めた申請(許可も含む)書状を手交、申請人はこれを自宅に持ち帰り永久に保存するのが慣例であった。これについて高木但馬は予め願書を2通作成、1通は地元大工に、残る1通は当家に現存するが、当然の事として地元大工が所有する書状は必然的に正本であるのに対して、当家の文書は大工頭の裏書が無い成行きにより副本となり、もう一方の当該寺院に現存する(1)文書は案に違(たが)い、地元大工の正本を後日寺院関係者が筆写しただけのものであり、表向きは「重要文化財の附文書」であっても、文書の価値から言えば啻(ただ)に第3位にランクされる単なる覚書(メモ)に過ぎず、この本末転倒の無様な誤断は物事の審美(美と醜との識別)を皆目知らず、
「高木のことなら取り敢(あ)えずボロクソに書けば事足りる」という思い上がったシロウト判断の失態といえる。

 残る(2)文書について、前述の古堂修理許可の取得より7ヶ月後、高木は素建までの入用材を全て新材で拾い出した明細書を寺院に提出している実情は、当初の修理計画を廃案とし、改めて新築に変更した客観的事実は何人も否定できぬ証拠であるが、この電光石火の計画変更に伴ない新築本堂の設計図・木材明細書・見積書等の作成期間を3ヶ月と仮定して逆算すると、宝暦6年春頃には早速新築案が本決まりとなり、間髪を容(い)れず、今度は新築で中井役所に再申請して許可を入手、前例に準(なぞら)えて、これも地元大工宅に保存されているものと考えて大過は無い。

 蓋(けだ)し、子孫として血涙を禁じ得ないのは、第1次修理許可の写し〔(1)の文書〕が寺院に保存されている現実に対して、第2次の新築許可書は何故筆写しなかったのであろうか?またはその後に紛失したものか?この天の配剤の不公平は、現存する(1)と(2)文書の中間に、真意を解明するキーワードが意味深く潜(ひそ)んでいるように看(み)て取れるのである。

     ◆ 帰趨を左右する要因を抉(えぐ)る ◆

 自己の不見識を棚に上げ興味本位に先祖を愚弄し、ふざけた潜在意識に惑溺した結果、
(10)山岸は、『高木は郡大工組の規制を侵(おか)している』と荒唐無稽の妄説に故なく迎合し、従来の懸案を一層詮索する目的で、『高木文書の調査をする』と大風呂敷を広げたものの、その無様な態様(天に唾する行為)は人選のバランスをかき、資質を疑う人間を恥じらいもなくこれに起用したが、その結果、調査報告の内容が単純化した低劣極まる見解(恥辱)は、客観的証拠に基づく冷厳なものではなく、徒(いたずら)に『高木は虚偽の申請をした』と根拠もない切り捨て御免の暴挙となり、これを誇らしげに公表して先祖を貶(おとし)める策略は、調査する能力の欠如により、脱法な結果が発生する可能性を塾知し乍ら、最終的にそれが避けられると自己中心的に考えて事実無根を捲(まく)し立てた認識の不足そのものが、世人から嘲弄される所以であり、愚の骨頂(最上)である。

 以上、
細見・山岸の活字の暴力による不毛の連鎖は極めて曖昧な概念と、自己中心の偏狭な判断が高(こう)じて先人による専門的な奥深さを蔑視し、自らの誤りに対峙しようともしない無知と傲(おご)りに起因する青臭い入口論が醒(さ)めた筆致で語られているが、これらの御都合主義は問題を分析する過程で自己の身勝手な感情を客観性よりも優先させた挙げ句の果ての卑劣極まる手法は、小さな原因を主要な原因と摩(す)り替えるという無気味で恐ろしい意見・憶測・推測・見解を事実と綯(な)い交ぜにして証拠なき前提を享受し、自分の考えに一致する証拠のみ鵜の目鷹の目で探求し、逆に否定する証拠は無視したのである。

 即ち、前述の(1)文書(古堂修理許可)は間髪を容れず新築に変更されて廃案となったにも関らず、これを洞察する眼力すら無く後世大事に温存し、
(高木は古堂修理の名目で申請をし乍ら、一方の現本堂には古材を用いた形跡は一切なく新築である)等と、眼前の矛盾が払拭できず、単純には結びつかない二つの物事(片や古堂修理の申請に対して、一方の現存本堂は宝暦新築である実態)を直接・簡単・短絡的に結び付けるという惚(ぼ)けた感性が禍(わざわい)し、建築申請の義務が無い先祖に罪を擦(なす)り付け、『高木による虚偽云々』等と、猿でも判(わ)かる論理を大々的に喧伝した。

 このように間が抜けた
(10)細見・山岸・村田説では、臭いもの身知らず(自己の不見識に気が付かず)問題を単純化し、真理や道義的に価値有る客観的な根拠を認めず意図的に先祖の陥穽を画策するが、それは既成の文化や制度を破壊せんとする獅子身中の虫と貶(さげす)まれても立腹する資格は毛頭ない。

     ◆ 差し出口を精査し、真実の検証をなす ◆

 旧時代の古文書の調査に際してプロではなかった化けの皮が剥(は)がれた
(10)細見・山岸は分を越えた(1)文書の後書にまで執拗に容喙したが、それの原拠を概説すると『大工は絵図(設計図)を作成した本棟梁蒲生郡八幡・高木但馬が勤め、諸事の指図を致します。これにより本来ならば高木の方から建築願(奉願造作之事)を提出すべきところ、高木は蒲生郡、建設地は神崎郡と大工組が違う理由により、地元大工の私が助棟梁の立場乍ら申請人となり、大工組の異なる訳を立て申し(立証)ます。この上は本棟梁・助棟梁の差別(それぞれの職務)を互いに守り入魂(じっこん)〔親しく〕にし、本堂が無事に建立するように致します。造営してよろしいでしょうか、お伺い致します』
             (地元大工及び神崎郡大工組頭の連署あり)

 この申請手法について
(8)吉田は賢しら知識により「郡外での作事は不可」とうそぶいて世人を誤導しているが、この得体の知れない吉田の絵空事(虚偽・誇張の多い架空の作り事)を、(10)細見・山岸・村田・池野が唯唯諾諾とこれに騙されて追従し、根性の浅ましい懐疑の連鎖になり下がったが、元来、郡外の作事に於ける中井役所の定法(申請の方法)は6カ国大工の統制上、地元大工が申請することと定められているのである。

     ◆ 常人の及ぶところでない皮相的な観念 ◆

 (10)細見・山岸説では前述の後書に半可通な知識で言いがかりをつけ、逆に猿の尻笑いとなった。その毒筆を暴(あば)くと、
 『然(しか)る上は、本棟梁・助棟梁の差別を互に相守り、入魂に仕り無事に建立これあるように仕るべく』とあり、地元大工と高木とが協力して工事を行なうことを約している。しかし乍ら『蒲生郡と神崎郡とでは郡大工が違い申し候に付き』と、わざわざこれに前文?(ママ)をつけているのをみると、その経緯は必ずしも平穏であったとは言い切れない。そこに高木一流の政治力が働いていたこと、矢川神社の例がよくそれを物語っている。   (以上は細見・山岸の歪曲した毒説による)

  註 前述の
細見・山岸が指摘する政治力とは、社会集団の内で、特に
    政治的機能を担(にな)い、その意志の決定について、他者に
    制裁を加えてでも従わせることができる手腕・力量をいう。

 以上の如く高木文書を調査する資格が皆目無い
細見・山岸は事実無根の高木非難をするについて様々な愚策を弄し、真(ま)っ当な高木文書を遮(しゃ)二無二改竄してみても、下らない内容(捏造)が真実であるという証明は一切せず、さりとて結果を充分に吟味して真実を検討したとは認められず、外聞ばかりの徒(あだ)花には決して実(み)はならぬ。

     ◆ 反省は猿がしてこそ意義がある ◆

 江戸時代に最も権威があった幕府の出先機関・京都大工頭・中井役所に対し、前代未聞にして天人共に許さざる謀反の企(くわだ)て、
『高木の先祖は虚偽の建築申請を提出して本堂を造営した』と、気違い染みた短絡的思考の(10)細見・山岸(奈良文化財研究所)、村田・池野(滋賀県教育委員会・文化財保護課)による一顧の価値もない稚拙かつ横逸した判断は、〔沐猴にして冠す〕、(猿が王冠を被(かぶ)って気取っているかの如く)有名無実の知識を標榜し、幕府法度を皆目知らない「ど素人」が先人の専門分野を誹謗し恣意的な議論をするのは無謀かつ枉法(私意を以って法の正理を曲げる)であり、『何処が虚偽なのか』に絡(から)む論争は、門外漢なるが故に姑息な判断が肝心の論点を店晒し(たなざらし)にし、卑劣にも有るか無しの取るに足らない事柄を恰(あたか)も鬼の首でも捕(と)ったかの如く雀躍する糠(ぬか)喜びを断じて恥とは思わない惚けた感性に苛(さいな)まれ、それでいて真の証明を成し得たと大言する独(ひと)り善(よ)がりの自惚れ(うぬぼれ)は、本質的な問題の在り処(ありか)を見誤り、その結果実態以上に増幅された虚構(つくりごと)は、客観的実在性を欠いた単なる空念仏(実行のともなわない主張)となり、最も無様な幻想に陥った。

 その根源を成すものとは、江戸時代の大工統制を皆目知らない蹉跌、そしてこれを学ぼうともしない惰性により、先人の拠(よ)って立つ斯道(プロによるプロたる道)の根本法則を無視してこれを既成事実化し、糅(か)てて加えて雪駄(せった・竹の皮でつくった草履)の土用干しでもあるまいに踏(ふ)ん反り返って威張りまくり、自分の誤りには向き合うことなく一貫して先祖の来し方を愚弄かつ否定し、ドミノ倒しの如く枢要な決定(けつじょう)を余すところなく歪曲し、襤褸糞(ぼろくそ)に非難する以外字句を知らない品性下劣の愚論は、真実と信じられる正当な理由も、真実性も無く、只管(ひたすら)
(8)吉田による先入観に誘発された付会(こじつけ)の妄説を一方的に信じ、視野の狭い感情論を詭弁(理を非にねじ曲げる)を弄して歪曲・捏造した虚誕(でたらめ)の報告書は、遂に文化までも改竄した。

 そもそも批評(本件の場合は敢(あ)えて先祖に対する非難というべきである)とは、それぞれの専門分野に没頭した抜け目のない感性と洞察力を享受し、対象となる目的物を切実に自己の心情で受け止め得る力量と視野の広い知識が求められるが、如何なる怨恨によるものか?
細見・山岸・村田は理由も無く先祖を撫(な)で斬りにして悦に入り、生半可で矛盾に満ちた意趣返しは理念と現実が一致せず、浅薄な判断で言説を弄(もてあそ)ぶ倒行逆施(道理にさからって事を行なう)は人間として極限に値(あたい)するが、性懲りもなく通説を覆す挑戦的な中傷は逆に職権乱用の謗(そし)りを招き、自分の愚かさを世間に曝(さら)け出す醜態を演じるだけである。

     ◆ 不合理な空想と主観に基づく観念 ◆

 元来古文書調査の使命は、書かれた内容を闡明(意義を明らかにする)にし、これの究明にはど素人では無く経験と博識ある人々によって得た成果を公表することが主眼であるが、この程度(前述の高木非難)の体たらくでは憤慨を超えて可惜(あた)ら拱手傍観を許さない。それは江戸時代の大工統制に関する法則を皆目知らないど素人集団による報仇(あだ討ち)に他ならず、矢鱈に公権力を乱用し、筋の通らぬ毒筆を世間に垂れ流して得手に帆を揚げているが、県教委より文書の調査を命じられて虫酸が走るのなら最初から調査を辞退すれば済むことであり、取り分け私が平身してまで調査を依頼したものでもない。

 一方、不測の事態は当時再起不能という医師の宣告による入院中を忖度することなく、非人間的な得手勝手で「字は読めても行間・紙背が読めない」癖に古文書を見せろと迫られた為、御為倒(ごか)しに汗牛充棟の自家薬籠中の物の内、一割にも満たない文書を申し訳程度に見せてやったが、案の定(じょう)肝心な内容の玩味不充分により自分の無知蒙昧を棚に上げた報復手段は、卑劣にも先祖の来し方まで味噌糞に公表して八つ当たりする無頼漢の如き権利は官人と雖も無い筈であり問題である。

 即ち、理非に拘らず同じ派の者に与(くみ)し、先祖を徹頭徹尾攻撃する排他主義の愚行は文化の伝統と慣習を破壊し、それでいて完璧かつ合理的な社会が創造でき得ると大風呂敷を広げて有頂点になり客観的な事実を重畳することなく、単なる抽象的可能性に過ぎない先祖非難は目に余るものがある。

 以上の如く故意に事実を偽(いつわ)る誣告と、憎しみを増幅させた不毛の連鎖は知ったか振りの驕慢で吾人の専門分野に土足で介入し、要らざる干渉をした挙げ句の果ての愚にも付かぬ高木非難は、奇を衒(てら)う論破と恣意的な解釈しかできない生殺与奪の暴挙は生半可な知識で先祖を蔑(ないがし)ろにした衆愚の集(つど)いに他ならず、残念乍らそれは評論では無く、机上の空論を弄(もてあそ)ぶ、観念的な妄説以外に何物でもなく、存在価値そのものが問われる傲慢な属性と官僚制度の病弊と揶揄嘲弄して尚余り有る。

PN   淡海墨壷