格別に取り立てて抹香臭い話をするつもりは無いが、物事には洋の東西を問わず、「原因があってこそ結果が生じる」という因果関係がある。この因とは『事柄を成立させた原因・素因』であるのに対して、一方の果は『その果て(はて)に行き着いた結果』である。
因みに、これを彼等による一連の古文書調査に当て嵌めてみると、前者の「因」は取りも直さず公権力を駆使した無謀な調査手法に他ならず、残る「果」は、さしずめ調査の批評(書かれた事柄の内容)を示すものと考えられる。
然は有れ、(そうではあるが、)肝心の文書の究明が不見識や杜撰であると、必然的に理不尽な論評は頓珍漢な迷論となり、それは起こるべくして起こった皮相的な主観となって行く手に立ちはだかり、これがネックとなって文理の要諦たる吾人の専門知識は最早認識や経験の外に押し出されて識ることができなくなり、その為に不適切な潜在観念と、理念との緩衝(止揚)は那辺にあるかわからず、傍若無人な振舞は決河の勢いとなって無実な先祖の来し方を故なく悪し様に書きたて、恬然として省察することもなく、その果ての悪因悪果は当然彼ら自身に振りかかる応報であると覚醒せねばならない。
◆ 高木非難第5号(池野説)と普請願 ◆
平成13年、本願寺八幡別院本堂修理が完成し、工事報告書が刊行された。これについて監修池野保氏は渇望の著録(昭和62年奈文研、細見・山岸氏編、高木非難第3号)を探求したと欣喜雀躍する余り、内容を碌碌精査することなく、不文律乍ら、当方の首肯を得るといった常識の片鱗さえ具有せず、「濡れ手で粟」の状態で思い通りになったと、得手に追風の論調は、『当時同様に高木が関わった工事に於いて、修理と称して新築する例は、弘誓寺本堂にもあった』と、不遜の思い上がりによって決めつけ、『以上の事から修理とするこの願書、(本願寺八幡別院本堂・弘誓寺本堂の申請願)は、実際は新築を目論むものである』と極めて不当な判断により公権力を乱用し、世間を誤導して故人の尊厳を冒涜した。
以上の池野氏説は、世辞にも高論卓説とは言い兼ねる常道を逸脱した異端説であり、これを荒唐に主唱する同氏の意図を思索すると、前掲の細見・山岸氏説の糟粕、(残りかす、精神の抜け殻)を鵜呑みにした結果、不幸にして下らぬ趣向の洗脳感化を甘受した誇大な迷妄となり、その為に私の先祖のひたむきな来し方に対しならず者の如く愚弄した難癖は、無辜の民に対する事実無根の絵空事となり、それを針小棒大に報告書に網羅して一向に憚らないが、その悪し様は当時埒外の立場であるにも拘らず当該弘誓寺本堂普請願にまで言及した鼻つまみの差し出口は、却って賢しら知識の要らざる容喙となり、理不尽極まる見当違いの感情を露骨にして悦楽に浸るが、その愚鈍は謀略とは裏腹に自己の無知を巷間に曝け出し、天に唾する行為となった。
◆ 食わぬ飯粒が口髭に付着した訳 ◆
本件の悪辣な中傷は、この内題のような生易しいものではなく、大幅に錯節した事由であるので、事後の曲解がないように枢要な問題点を再度徹底究明しておきたい。このとき池野氏が担当した本堂は元禄7年(1694)京都本山西本願寺ご門主のご下命による修理の思惑は改築ではなく、単に「桁行方向に一間半継ぎ足したい」のご希望に沿ったものであり、その証左として建築願には『梁行十一間半、桁行十間半の在来本堂桁行に、一間半継ぎ足して合計十二間につかまつりたい』(致したいの謙譲語)(在来桁行10.5間+1.5間=12間)と出願しているにも拘らず、(高木文書による)池野氏は軽々に梁行と桁行を逆に勘違いをした(桁行11.5間+1.5間=13間)であると、そもそも建築に携わるものとして基本的原則である寸法の誤謬をし、最大の恥辱を醸し出した。
それでも委細構わず、厚顔な無策の裏付けとして、『現本堂を1間6.2尺と仮定して計測すると13.2間となる』と極言するが、本来この6.2尺という中途半端な寸法自体素人臭く、当時幕府の定めた1間は京間6.5尺であり、それでも我関せずと、茲に廉恥心は疾っくに面目を喪失し、自らの出鱈目な計測(13.2間)と、高木文書を見誤った13間、(高木文書には12間と明記されている)とを対比して両者の寸法差は0.2間の僅差であると、是に於いて空前絶後の汗顔の至りとなった。
◆ 才余り識足らずの論理 ◆
以上の如く池野氏は誇るに足らざる事大主義の発想が無碍となり、無様な大失態を演じた追目があるにも拘らず、馬耳東風を装い一向に躊躇することなく、尚々意味不明な屁理屈を捏ね回し、尤も愚かしい違算を棚上げとした上で臆面もなく『これにより、(前述の誤算を自慢たらしく標榜して)桁行方向に継ぎ足しは欺く手段であって、当初よりその必要は無かった』と自己の1.2間の誤差は無視し、それ故に(高木は)内実では秘かに新築を目論み乍ら公文書に充当する普請願の内容を捏造した修理名目で申請をし、つまり『虚偽の申請をして許可を得たものである』と公権力を乱用した筋の通らぬ毒筆を世間に垂れ流し、剩え、弘誓寺本堂の申請まで同様の空疎な論理は、児戯にも悖る妄想となるが一方、これらに対処する規制は、当時では通典どころか金科玉条、秋霜烈日の権威ある幕府規制であり、これに対して一つ覚えの如く、口を開けば『高木は虚偽の申請をした』との決まり文句は目を覆うものがある。
そもそも報告書は真実を闡明にする目的でそれの究明に博識ある者が手間をかけ、その成果を一般に提供する金字塔の事業であるべき筈であり、この程度の体たらくでは実態を知らない集団による先祖に対する報仇であり、不断の啓発が必要である。
因みに前者建物は、昭和48年6月県指定に、同じく後者も同61年3月同指定となり、続いて翌62年6月、図らずも後者のみ重要文化財に昇格した。余計な事乍ら、大工は前者が高木作右衛門四代光連、(受領の国名は日向)後者は、同姓五代光親(受領名は但馬)である。
ところが、奈文研の細見・山岸氏・県教委の池野氏はこれを造営した高木という奴自体、殊の他ご立腹され、最終的に収拾不可能な事実無根を書いて溜飲を下げたであろうが、このような「鳩を憎んで豆を作らず」の人間味の欠如した了見では、徒に自己の品位を下げるだけであり、最も軽蔑される高慢な行為である。
一方、先祖作の建物に県指定・重文の格差はあれど、折角価値あるものと認定された建物を『親子共々虚偽の申請によって建てられた』と事実ならいざ知らず、不実な事を書かれては建物も瑕瑾となり、その建物所有者に対しても大変無礼であるだけでなく、第一に県教委の内部の人間によって悪し様に公表することは、社会の木鐸として最も恥ずべき行為であり、常識で理解不能なその醜態は、「獅子身中の虫」と蔑まれても返す言葉のない妄評である。
私共の世代は戦前の教育である人間としての五常(仁・義・礼・智・信)の教育の影響もあって余計痛切に感じるのは私だけであろうか。高木作の修理を命じられて虫酸が走るのなら辞退すればよいのであって、自己の誤断により逆鱗に触れたからといって、無実な先祖の来し方を味噌糞に書いて公表する権利は官人と雖も無い筈であり、問題である。
◆ 甲論乙駁と正反合 ◆
『尺も短き所あり、寸も長き所あり』という諺がある。物事にはどんなものでも一長一短があって、時と場合によっては、何が役に立つかわからないという事や、愚かしき者の方が賢い人よりもすぐれている、(寸も長いところ)場合もあるという喩えがあり、また類義語として、『是非は道によって賢し』とも表現される如く、総じて物事の善し悪しの判断は、その道の専門家に委ねる方が得策であるという先人の戒めもある。
それ故に、門外漢の立場を忘れて専門家を僭越した愚弄をし、自分が絶対至上であるという一元論(一つの原理だけで説明しようとする考え方)の高慢な発想では、その外側にあるものが立ちどころにして視野狭窄となり、やがては全体像をも見えなくしてしまうのである。
さて、その弁別について、「広辞苑」を座右に本項命題の甲論乙駁について究明すると、例えば甲が主張する正論に対して、乙がこれを弁駁(反論)をするという輻湊した議論の弁別証明(互いに違いを認めて意見を述べる行為)に対して、その中心概念である一つの判断『正』と、これに矛盾する相手側の判断、『反』とが一段と高尚な総合判断、『合』に統合されてゆく過程で、弁証(弁別証明の略称)自体は、自分の内にある矛盾を高らかに乗り越えて、正しい方向に行き着こうとする認識・知識がその弁証の発達過程で事象の低い段階部分の否定をし乍ら上手く構成し、逐次高尚な段階に到達しようとする。
この時点で、必然的に衝突する「正と反」相半ばする二つの概念が、或る好機(切っ掛け)を得て見事に調和統合し、措定(はっきりした内容を示して固定する)されるのである。尚、このような議論が高揚する段階を止揚という。
◆ 修理工事報告書の謬見 ◆
平成16年3月、弘誓寺本堂の修理が完成し、修理工事報告書(以下報告書と略記)(監修文化財保護課大塚博、池野保両氏、編集豊城浩行氏)が県教委より発行された。
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