| 2000年3月16日 高木敏雄HomePage |
東寺五重塔三十分の一小塔の製作にあたって
高木敏雄
![]() 東寺の弘法さんとして古来より庶民に崇拝され、親しまれている洛南の教王護国寺(京都市南区九条町)は、桓武天皇による平安遷都(794年)によって羅生門の東西に寺院が建立されたが西寺の方はのち消滅し、現在東寺境内東南隅に本邦最大、最高の偉容を誇る国宝東寺五重塔は、天長三年(826)空海による創建以来度重なる落雷による焼亡の都度不死鳥のごとく甦ったが、寛永十二年(1635)またもや焼失したため同十六年江戸幕府三代将軍家光が明正天皇の詔を奉じ、自らが大檀那となって再興に着手、同二十年(1643)完成したもので、現存する五重塔は五度目の重建によるものである。 |
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![]() ![]() 塔は地震に強く本邦最古の法隆寺五重塔以来地震で倒壊した試しのないことは、専門的に研究を重ねておられる先生方が発表されている。一方、法隆寺の名匠、故西岡棟梁が同寺の金堂修理のとき地震があり飛び出して同五重塔を眺めると、各重が蛇行型に揺れたと本に書いておられた。事実、関東大震災のとき最も激震のど真ん中にあった浅草寺塔、大森の本門寺塔、幸田さんの小説のモデルになった谷中の塔、寛永寺塔、増上寺塔、少し離れた千葉県の法華経寺の塔は何れも健在であったと当時東京で修行中であった親父から聞かされた。先年の神戸の震災でも木造の塔が健在なのに、最近建てられたコンクリート製の塔に亀裂が入ったこと等、何れも事実が立証してくれている。 江戸時代に再建された日光東照宮の塔(1818)前述の谷中の塔(1792)などは真柱の底部を十センチ程切上げ、上から鎖で吊り下げ、塔に振動を与えぬよう「はじき竹」が取付けられ、真柱自体が分銅状となって足元がゴトゴト動くので、明治頃これは地震対策かと考えられたこともあったらしいが、のちの研究でこの対策は他に目的があったと故近藤先生が著述しておられる。 在職中によく質問されたのは、「塔の内部はどうなっているのか」「何故倒れないのか」「隅木や梏木の尻は全部真柱に突き指してあるのか」 等々、これらに対してたどたどしい訥弁で説明してきたが、今後も熱心な後進の諸兄のために特に内部構造を重点とした小塔を遺したいと考えている。そのため第二作、第三作と相次いで作るばかりでは経済的なこともあり、次、次と放つ矢が続くよう何卒このような駄作でも御趣味のある方々、お買上げ下されば誠に幸甚に存ずる次第です。 |
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