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2009年11月24日
高木敏雄HomePage

角を矯めて牛を殺した大失態

                    宮大工 十四代 高木敏雄
 
     ◆ 修理新築に改竄した池野の僻論 ◆

 本願寺八幡別院本堂の元禄修理について、本山の御門主より地元の大工(近江八幡大工町・高木)に修理の御下命を戴き、元禄7年1月18日、京都大工頭に修復願を提出・即日許可を得て本堂応急修理(桁行1間半継ぎ足し許可を含む)付属建物(書院・対面所・台所)の新築を終え、6年後の同13年9月10日、本山より御門主寂如尊師の御下向あって慶讃法要を執行された。                     (堅田本福寺旧記)
 これについて前編で述べた通り、子供でも大笑いする素因は計算間違いの大失態に他ならず、細見啓三の悪辣極まる先祖の扱(こ)き下ろしを塾知し乍ら、これをこよなく讚美し、低劣な輩・細見の意見に共鳴する同じ穴の狢(むじな)池野保・菅原和之は、平成13年3月、本願寺八幡別院本堂の修理完成に伴う報告書に、如何なる遺恨によるものか?高木文書〔元禄7年(1694)1月、大工頭・中井家に提出した
同本堂修復願・裏面の許可条項〕を虚仮にしてこれを新築に改竄し、県教委発行の報告書37・38頁に筋が通らない難癖を(1)〜(4)に羅列し、身の丈を顧みない意趣返しに菅原と意を通じ、職権を乱用した先祖に対する侮蔑・冷罵は、捩(ね)じ曲がった自尊心により脆くも崩れ去った噴飯の至りであるが、惜しむらくはもう少し脳漿を絞って考えることができなかったのか?その異常さを異常と思わない細見・池野・菅原の惚けた感性こそ甚だ異常である。

     ◆ 行間と紙背が読めない積年の弊害 ◆

 昭和62年細見啓三・山岸常人は古文書が読めない癖に、高木文書を調査すると大言を吐き、奈良文化財研究所の人間という無謬性に大胡坐(あぐら)を組み、公権力を後ろ楯にした傲岸不遜は理性を歪め、自分が正しいと過信して物事を客観的に考えようとはせず、剰(あまつさ)え誤謬の少なくない吉田高子の先学を鵜呑みにして悦楽を貪(むさぼ)る書生論は大局的に物事を見ることを忘れ、解読不能な箇所は古文書に難癖を付け、先祖の英知を愚弄して未知の領域(江戸時代の大工法度)に土足で踏み込み、矛盾に満ちた事実無根の虚構(つくりごと)・虚誕(でたらめ)による先祖に対する中傷・誹謗は、伝統と慣習を拒否し、有るか無しの裁量(きりもり)の拡大を主目的とし乍ら、一方ではお上(かみ)意識が色濃く残る時代錯誤の発想を自分の価値観で覆(おお)い被(かぶ)せて「のほほん」としているが、それは取りも直さず人倫の根源に背くものであり、普(あまね)く文化の敗北に繋がる醜態を性懲りもなく露呈した。

 詮ずるところ古文書を調査するには、幅広い知識を享受し、書かれた内実を正確に把握した上で論理的に考え、先祖が弛(たゆ)まぬ努力で積み重ねた研鑽を写実的(事実をありのままに描写する)・具体的に表現することなく、感情の赴(おもむ)くままの排他的な指弾は、先祖の来し方を屁理屈で撫で切りにし、下らない愚考によって逆に自己の無能を丸出しにした書きたい放題は、論理の観点に立脚した批評ではなく、真理の追及は鯱立(しゃちだち)しても覚束ない。

     ◆ 冷飯から湯気が立つ奇妙な空想 ◆

 以上の如く、何とも奇妙な珍説は細見・山岸による根拠の無い主観的な妄想に惑溺した池野保・菅原和之の毒筆に他ならず、恰も先祖が違法行為をしたかの如き冤罪紛いの指摘
高木文書に問題点があると、馬鹿を丸出しにして一方的に決め付けているが、肝心の江戸時代の法度(法律)を知らぬど素人、池野・菅原は、単に威張り捲るだけで不実を書きならべて強権を行使し、人倫の根源に背く悪態は、客観的な歴史的事実を直視せず、正当な判断を無視した人権の剥奪に値(あたい)するが、根拠の無い「でたらめ」の先祖非難は、権謀術数(巧みに人を欺く計略)の性悪さを露呈した愚の骨頂であり、人間並みに体温を有する十四代の子孫として、奴等の愚考は絶対許せない。

 いまいち穿った見方をすれば、池野・菅原による思い上がった先祖非難は、矮人の観場〔身長の少し低い人が満員の劇場で後方から芝居見物をし、見えもしないのに前方の人々の拍手に雷同する如く〕識見の乏しい池野・菅原は、高木文書を調査したと雀躍してこれを鵜呑みにし、無定見の成れの果ては熟読玩味が不十分な一夜漬となり、卑怯・下劣な愚考の恥を曝け出し、八方破れの醜態を醸し出す自業自得に他ならない。

 押し並(な)べて何様かは知らねど奴等の手法は、高木文書の要点を充分に噛(か)み砕いて味得することなく、また、その力量もなく、一途に箍(たが)の緩んだ連中が徒(いたずら)に虚勢を張り、自己の主観を専(もっぱ)ら重視し、理念よりも寧(むし)ろ感情的な思考に重きをなす非理性(真偽・善悪を識別する能力が無い)により、先祖を完膚(かんぷ)無きまで排斥した池野・菅原の病弊こそ、客観的な真理の可能性を疑い、これに洗脳された偏頗(不公平)な調査では、迚も迚も本質の究明には至らず、不見識も甚だしい暴挙である。

 加えて虎視眈眈と狙い目を付けた皮相(真相をきわめず、表面のみを見て下す浅薄な判断)による零落の極みは、最も池野・菅原が忌み嫌う先祖に対する憎悪と化し、彼等のバカ気た蛇足判断(あっても益の無い余計な物事)を十把一絡げにして不実(事実でないこと)を列挙し、情味の欠落した池野・菅原の妄想に対して、私の拙文を読んで下さる人々が目を側(そば)める(目をそらす)不測の事態を惹起し、恬然として恥じない脳天気では話にならず、糠(ぬか)に釘の腑抜けた報告書に成り下がった。

     ◆ 細見の轍を踏む池野・菅原の醜態 ◆

 物事の趨勢が読めない癖に高木文書の調査をすると法螺を吹き、何故か識見に富む人材を選ばず、嘘で固めた先祖非難は、奇を衒(てら)う論破と、恣意的な解釈しかできない池野・菅原の遣(や)り方は、半可通な知識で先祖を愚弄する衆愚の集いに他ならず、これに伴う調査はお世辞にも真っ当な評論とは言い難く、机上の空論を弄(もてあそ)ぶ観念的な妄想以外何物でもなく、組織そのものが問われる官僚制度の病弊である。

     ◆ 自ら墓穴を掘る虚構と虚誕 ◆

 傍(かたわら)に人無きが如く、証拠が無くても何所(どこ)吹く風の卑劣な手段は、前後の見境が無い池野・菅原が頑強に肯定して止まない
元禄新築説を排除し、汗牛充棟の高木文書の内から正論を抽出すると、当本堂の元禄修理に際して本山の御門主は、これを機会に「桁行方向に一間半継ぎ足し」を御所望され、先祖はこれに基づいた修復願を中井家に持参した。

 これに対して大工頭は「御門主の別院であるので子細格別」と、継ぎ足しを許可されたが、「但し、一旦壊して建直すことは難しい」つまり、継ぎ足しは認めるが解体は不可という条件付きの許可を与えられた。

     ◆ 先祖が中井役所に提出した修復願 ◆

 元禄7年(1694)1月、江戸幕府出先機関・中井役所に提出した文書に、
   『江州八幡西門跡御堂
修復
    梁行11間半・桁行10間半
 『右は、この度御門主より
修復を仰(おほ)せ付けなされたので、
  桁行の方へ1間半継ぎ足して12間に仕(つかまつ)り、所々朽
  損した柱を取替え、総地形(基礎全体)を2尺斗(ばか)り(約60
  センチ)築きあげたく存じます』
という内容の
本堂解体修理の申請書を提出した。
  註 その他、書院・対面所・台所の新築申請を略す。

     ◆ 京都大工頭・中井主水の許可条件 ◆

 『表絵図の御堂を(本山)御門跡より
御修復なされるについて、この度桁行の方へ1間半継ぎ足す事は勿論御停止の事であるが、子細格別(本山御門主の別院である例外)につき御許容されるので細工してもよいが但し、他の例にはならない。また、一旦壊して建直す事(解体修理)は難しいが、若しその様な御好み(どうしても解体が必要であれば)重ねて(今度は当役所ではなく奉行所に)再度申請するものなり』
                           (中井主水)
     ◆ 先祖日向の英断と、千慮の一得 ◆ 

 前掲の如く解体を含む
修理の申請に対して大工頭の条件は、1.5間の継ぎ足しを許可し乍ら解体が不可では恰(あたか)も馬の鼻先に人参をぶら下げて鞭(むち)打つが如き杓子定規(形式にとらわれて融通が利かない)の許可であったことから、先祖の英断たる千慮の一得、(愚かな先祖でも多く考えている内に名案が出る)つまり、解体は不可でも1間半の増建は許可されていることから、是が非でも幕府の法則を順守し乍ら、本建(入側から対面する入側まで)の範囲には一切触れることなく、その代りとして旧来の縁の巾を2倍(修理前の縁巾0.75間に対して修理後は1.5間)にすることで、桁行1間半増建の帳尻を合わせたのである。
 註 修理前の縁巾は左右の合計が1.5間であったのに対して修理後は
   (本山並みの広縁)片方で1.5間となり、これにより高欄が必須と
   なったのである。

     ◆ 問題点があると指摘した逆恨み ◆

 以上の如き御門主の御下命に対して肝心の目が節穴なのか、常軌を逸脱した池野・菅原は自己が作成した修理工事報告書(平成13年3月刊行・37・38頁)に何を血迷ったものか?前掲の高木文書(元禄7年1月申請、同日許可)に謂(いわ)れ無き言い掛かりを付け、
『この願書は既に問題点が指摘されている』と、これより先、昭和62年、細見啓三・山岸常人による事実無根の中傷に固執し、根拠の無い偏見を恥とも思わずこれを正当化し、糞丁寧に4分割した意味不明かつ「でたらめ」の公表をして溜飲を下げるに至った。

     ◆ (1) 屁理屈を捏ね回す付会の説 ◆ 

 池野・菅原による報告書37・38頁、先祖非難の内
(1)『現本堂の桁行に拡張した痕跡が無い』と、鬼の首でも捕(と)ったかの如く咆哮しているが、この気違い染みた妄想はとりも直さず素人特有の浅慮の致すところであり、前掲(高木4代日向の英断)で述べた如く、江戸幕府の禁制(解体不可)を拳拳服膺(けんけんふくよう)し、本建には一切触れることなく、代案として縁巾を2倍にすることで必然的に(桁行)12間となったのである。

 これに対して往生際が悪い池野・菅原は所詮勝ち目が無いにも拘わらず、自分の僻論が正しいと糠喜びし、
「桁行に拡張した痕跡が無い」と、事実無根の啖呵(たんか)を切っているが、仮にこれが正論とすると、1間半の増建は雲散霧消となって増建はゼロとなり、従って現本堂の桁行は12間ではなく、元禄修理以前の桁行10間半のままとなるが、この程度の計算も出来ず、整合性が欠落した盆暗は、自ら墓穴を掘る愚の骨頂に他ならず、希代の愚(おろ)か者と非難されても立腹する資格は無い。

     ◆ (2) 整合性が欠落した皮相の判断 ◆

 前掲に次いで報告書37・38頁の内、
(2)「近世に於て基本的に左右対象の浄土真宗本堂に1間半拡張することは中途半端な平面となり、考えにくい」と、何事にも難癖を付けねば気が済まない一言居士の分際で本質的な問題の在り処(か)を見誤り、火を見るよりも明らかな逆説〔増建を蔑(ないがし)ろにした〕を池野・菅原は恥を恥とも思わず先祖を愚弄し、多面的に横溢した衒学趣味は未知の領域(江戸時代の大工法度)を脱することが出来ず、場当り的で下らない屁理屈は単なる自己満足であって、論理的な思考による的確な判断とは世辞にも言い難く、呆(あき)れが宙返りする料簡違いは弥(いや)が上に矛盾を深刻化させた苛(いら)立ちの焦燥に駆(か)られ、物事のすべてが本質的な解決に至らず、この程度の発想しかできないのか?下らない不毛の連鎖は、延(ひ)いては文化の凋落に繋がる

     ◆ (3) 仲間(細見) の恥まで暴露する池野 ◆

 
(3)の冒頭に、『願書(先祖が提出した修復願)に記載された拡張後の桁行寸法を( 12間ではなく)13間である』と、1間も鯖を読む池野・菅原は、『現本堂の側柱真々を、1間を6.2尺と仮定すると13.2間となり、ほぼ現本堂に一致する』と、得意になっているが、大局的見地からいえば江戸初期以降は1間=6.5尺であっても中世に造営された当該本堂は、この定尺で計算しても割り切れず、増して池野・菅原による主張1間=6.2尺では、死ぬまで計算しても埒があかず、その噴飯すべき根源は、桁行寸法と梁行寸法を取り違えた細見の愚鈍を見破る力量も無く、計算違いの醜態を自慢たらしく公刊に記載した自縄自縛こそ滋賀県教委の赤恥である。

   
  ◆ (4) 先祖を犯罪者にした下種の勘繰り 

(4)自己の不見識を棚上げにした盆暗、池野・菅原による素人判断を穿(ほじく)りだすと、八幡別院本堂修復願(元禄7年1月付、高木文書)の字が読めないのか?虚偽の申請であると嘯(うそぶ)く侮辱は卑劣にも証拠を明示せず、元禄7年の新築であると、独断と偏見により、修理工事報告書(平成13年刊行)に謂(いわ)れなく、馬鹿丸出しの公表をした。

 これについて呆(あき)れが礼にくる「でたらめ」の報告書37・38頁池野・菅原による中傷
(4)には、『高木が修理と称して新築する例は弘誓寺本堂にもあったことから、八幡別院本堂修復も実際は新築を目論むものであった』と、ど素人の分際で、恰(あたか)も先祖は江戸幕府の出先機関である京都中井役所に対して公文書偽造の詐偽行為をしたかの如き弥縫策を喧伝しているが、五畿内・近江六ヶ国の大工・杣に徹底した金科玉条・特に〔寛文の大工法度(法律)高木文書〕を読み解く力量の欠落が焦眉の急となり、池野・菅原による悪質な構陥(故人の来し方を非難する非人間性)の欠落と相俟(ま)って、益々事態を複雑化させたのである。

     ◆ 幕府老中による寛文の大工法度 ◆

 幕府が発令した大工法度(高木文書)は蒲生郡志に掲載された文中に、惜しむらくは「その掟が見当たらないのが遺憾」と錯誤しているが、寛文8年発布以来この原本(高木文書)は大工の法律であることから特に貴重文書として当家に現存する事実により、これを調査した当時八幡役場の記載漏れと考えられるが、それはともかく特筆すべきは寛文期の建築制限令を虚仮にした池野・菅原が頑強に抵抗する
新築説が許可される筈(はず)もなく、以上の実証により県教委発行の修理報告書の新築説が信憑性を喪失し、村田・細見・山岸・池野・菅原による常套手段は、例によって嘘八百であることは火を見るよりも明らかとなった。

     ◆ 嘘で固めた修理工事報告書の内実 ◆

 つくづく過去を回想するに、先祖に対する報仇なのか?細見による先祖非難は意図的に逆説を公表し、害毒を巷間に撒き散らして得意満面となっているが、真っ当な理由、根拠もなく先祖を愚弄し、主観的な妄想に基づく細見特有の逆恨みは事実の確認という観点からいえば筋道が通らず、信憑性を疑わしめるものがある。

 糅(か)てて加えて肝心の結論自体が客観的に立証されておらず、憶測による不条理(道理に反すること)な先祖非難は、次元の低い不見識と相俟って益々主観に満ちた抽象(具体的でなく、実際の様子がはっきりしない)に終始し、視野の狭い感情論の零落の果ては、細見説を妄信して有頂天になり、事実を偽った異説に惑溺して
『高木は虚偽の申請をして許可を得た』と、不条理一点張りの悪態嘲罵を並べ立て、人間性を置き去りにした誹謗・中傷は、人の痛みに対する感受性に乏しく、情味(人間らしい思いやり)が欠落した冷(さ)めた筆誅(活字の暴力)は本質的な問題の在り処(ありか)を見誤り、それが高じて実態以上に誇張した誤断を恥らうことなく、味噌も糞も同じ価値観で覆(おお)いつくした膚浅により客観的な実相の把握には至らず、下らない無策は判断基準が曖昧な入口論を完膚無きまで標榜し、恬然として恥じない捧腹絶倒の体たらくは、満天下に恥を曝け出すこととなったのである。

     ◆ 食わぬ飯粒が口髭に付着した珍説 ◆

 古文書の究明が杜撰であると、必然的に理不尽かつ頓珍漢な迷論となり、起るべくして起った皮相的な主観となって行く手に立ちはだかり、これが障害となった池野・菅原による不適切な潜在観念と理念の緩衝(かんしょう)は何処にあるか分からず、自分以外に偉い者はこの世に存在しないと自惚(うぬぼ)れた唯我独尊の池野・菅原は、何でも知っていると自負する「百」の知識より、「これが専門である」と精進した人々の「一つ」の知識にも及ばず、肝心な点に触れない不徹底によって先祖の伝統と慣習を糞生意気に愚弄かつ拒否し、その不遜は理性を歪め、自分が正しいと過信した思い上がりは大局的な視点で物事を見ず、自己の肩書(何様かは知らないが)に酔い痴れて正気を失い、只管(ひたすら)信憑性が乏しい素人判断の調査報告書作成に有頂天になり、高木文書を改竄してまで本堂を
新築と強調する愚の骨頂の池野・菅原は、文化的な価値を有する建造物を恣意よって新しく表顕し、文化財保護課の人間が挙って建物の価値を貶(おとし)める深刻な事態を招き、その成れの果(はて)の悪因悪果は、当然自分自身に振りかかる応報(むくい)と覚悟せねばならず、況(ま)して高木文書を人並に調査する資格などは些(いささ)かもない。
 
PN   淡海墨壷