トップページ
2007年3月16日
高木敏雄HomePage

虚構の内幕と捏造の実体を暴く

宮大工 十四代 高木敏雄
     ◆ 先祖の屍に鞭打つ卑劣な調査 ◆

 今回、官界の権力を自己の主張・手段の拠りどころにし、これに酔い痴(し)れた御座なりの調査手法は、正気(せいき)を失い清濁併せ呑む(正・邪の判断が出来ない)僻見に終始して得意満面としているが、取り分け、著しく正義に悖(もと)る悍(おぞま)しい事実誤認の中傷誹謗を剔抉(ほじくり出す)すると、『角を矯(た)めて牛を殺す』〔生来、曲がっている牛の角を真(ま)っすぐにしようとして手段を誤り、逆に物事を駄目にした〕前古未曾有の先祖攻撃は、如何様な意趣返し(恨みをかえす)によるものか?常軌を逸し、気違い染(じ)みた素人判断による木文書調査の零落の極みは、「百様を知って一様を知らず」つまり、上辺だけはひと通り知っているかの如く尊大に構え、度し難い高慢による推量は終(つい)に馬脚を露(あら)わし、
県教委の村田・池野説や、分別なくこれに左袒した奈文研の細見・山岸説は、論理の根源たる第一義が麻痺した独善により「傍(かたわら)に人無きが如く」大手を振って闊歩し、伝統的な既成の文化まで破壊せんとした。

 その内実を糾明すると、普遍的な初念として、『鶏に夜を司(つかさど)らせ、狸に鼠を捕(とら)えさせる』つまり、肝心の調査する人間を、それぞれの才能に適応した地位・任務につけることなく、「適材適所」の思考を否定する差し出半学(分を越えて、知ったか振りで口出しする)の短視による先祖攻撃は、権力による排他的思想(パワーハラスメント)に他ならず、増して先学に迎合した妄想(根拠のない主観的な想像や偏頗な信念)は、有ろう事か法の理念まで軽視し、『驕慢(おごり、高ぶり)のみが独り歩きして実義(真実の意義)無し』と、世人の冷笑を招く不埒は、所詮、素人は素人でしかあり得ない人間力の閉鎖した主義・主張を頻(しき)りに標榜して憚(はばか)らない。(遠慮をしない)

 以上の如く調査する資格の欠片もない間が抜けた県教委の人間は、自己の無知蒙昧や不見識を棚に上げ、ひたすら高木一門を貶(おとし)める目的で詭弁を弄(ろう)し、事も疎(おろ)か、蟷螂の斧の如き勝ち目の覚束(おぼつか)無い涙ぐましい努力は、残念乍ら皮相の弥縫策に終始した猿知恵に等しく、迚(とて)もじゃないが本質には至らず、天に唾する自業自得の体たらくは目を覆(おお)うものがある。取り分け根拠に乏しい偏見や、菽麦を弁じ得ない先入観に執着し、屁理屈を正当化した挙げ句の果ての専断は、喫緊の要諦までも蔑(ないがし)ろにした窮余の策と化し、焦慮に駆(か)られて解決すべき論点を改竄し、糅(か)てて加えて不確実な主観を宛(さなが)ら事実であるが如く豪語する一家言に固執した道義の暗さを尻目にかけ、先祖を構陥(讒言して先祖を罪におとし入れる)するが、このような盆暗者により、自分で墓穴を掘る雪隠詰めの足掻(あが)きは、後日の弊害を意識することなく、一途に俗物根性による木非難の調査報告書として臆面もなく公表し、後生大事にこれを温存するが、その浅慮自体が「へそ」で茶を沸かす噴飯ものであり、鼻面を取って引き回す愚考は県教委という組織の瑕瑾となる恥の上塗りでもある。

     ◆ 幕府禁令を無視する偏狂な調査 ◆

 普(あまね)くモノツクリの人々が活動するについて必須の規範法則を列挙すると、連年幕府が行なう諸造営に大工以下諸職人を好むと好まざるとに拘(かかわ)らず徴用する法度や、その他の掟・禁令・規則に次いで、京都大工頭・中井家を通じて布達される建築制限(梁間は京間の三間を限度とする)や、建築申請の義務・大工仲間の『掟』(特に自己の所属以外の大工組に出向するときの作法)等が挙げられるが、有無を言わさず動員される秋霜烈日(怠慢に対する冷厳な刑罰)の金科玉条(最重要な法則・規矩準縄)の初歩すら知らない県教委の門外漢が調査?と大言し、鹿爪らしく執拗かつ無自覚な判断と、欺瞞に満ちた浅慮に感(かま)けて重箱の隅をつつくが如き陰湿な揚げ足とりや、原因でないものまで然(さ)も原因であるかの如く難癖をつけて焦点をはぐらかし、これを勿怪の幸いとした卑劣な虚誕(でたらめ)の説に加え、下らぬ偏見を客観性よりも優先させて問題を複雑化し、とどのつまりは筋の通らぬ屁理屈を捏(こ)ね回した恣意による憶測・推測や歪んだ見解と事実とを綯(な)い交ぜにした錯誤により、残念乍ら事実と観念とが一致せず、それが禍(わざわ)いして先祖相伝による知識の相乗効果の結合を踏みにじった。このように人間味の欠落した強(したた)かな似非者が大手を振って跳梁(のさばる)する挙げ句の果てに、後日の禍根となる「名ありても実の無い」体たらくは、傲(おご)り、高ぶった裸の王様に過ぎない。

 以上の如く、
奈良国立文化財研究所・細見・山岸説・県教委の村田・池野説では見掛け倒しの虚勢を張り、間違いの少なくない論述の上に大胡坐(おおあぐら)をかいているが、所詮はど素人であるが故に専門的な実質が伴わず、度が過ぎた先祖に対する人権無視は却(かえ)って文化の剥奪に繋がる。即ち、先祖を愚弄する数多の中傷誹謗には微塵な合理的根拠も無く、また事実関係の確認という観点からいえば甚だ不十分で信憑性を疑わしめるものがあり、肝心の結論は客観的に立証されておらず、次元の低い不見識かつ憶測は、単なる抽象的可能性に過ぎず、因って、視野の狭い感情論に終始し、『木は虚偽の申請をして建築許可を得た』(村田・池野・細見・山岸説)という事実無根のバカ気た判断や、下種の勘繰りは、書かれた側の痛みに対する感受性の欠落と、泰然自若を決め込む偏狭な連中により、真理や、道徳的な根拠を一切認めず、それでいて伝統的な既成の文化まで否定するのは軽薄で粗雑な思考停止の表われであり、外見は文化財建造物の保護が謳(うた)い文句であっても、実際は先人の糟粕(のこりかす)を舐(な)めるだけで、肝心の精神が踏襲されず形骸化した虚無(からっぽ)のみが残るが、これらは取りも直さず県教委という排他的な組織に醸成された一部の偏狭者による世間に対する恥曝(さら)しであり、思慮分別なく容易に見られない稀覯文書に小賢しい非望を抱き、真相を究める力量もない料簡違いは、帰着するところ高木文書の読解力不足を棚に上げた逆恨みとなり、事も疎(おろ)か、先祖に対する妄執まみれの憎悪は人間として正しい選択を誤り、終には江戸時代の物事を皆目知らない蒙昧な連中が冷(さ)めた筆誅〔罪悪などを書き立てて責(せ)める〕によって史実を捏造し、持ち前の貧困な発想によって無実な先祖を犯罪者に仕立て上げたのである。

     ◆ 千人の諾諾は一人の諤諤に如かず ◆

 「付和雷同に拘泥して他者の言いなりになる意気地(いくじ)の無い人よりも、権勢に諂(へつら)うことなく堂堂と正論を主張し、物事の真偽をはっきり言ってくれる人のほうが、自分の為になる」という格言を座右の銘とし卑近な例を示すと、現実を無視した虚妄の調査に関連する戒(いまし)めとして、「論語読(よ)みの論語知らず」という中国の名言がある。この意味は書物を読んだ結果、字句の解釈にとどまらず、文字面に表れていない深意まで汲みとったが、残念乍ら格言通りに実行できないと、読解力を練達した人が自省を促したものである。

 一方、これとは裏腹に字句が碌(ろく)に読めない癖に自己の分際を顧みず、生意気に先祖を完膚無きまでに弁難駁撃し恬然としてい
る奈文研の細見・山岸説の醜態を剔抉してみたい。

     ◆ 領主佐々木氏による社殿造営と大工所 ◆
 
 これについて、高木家初代・兵衞自筆『八満(幡)御さうくの覚え』〔日牟礼八幡宮(近江八幡市宮内町)御造工の覚え〕によると、弘治2年(1556)兵衞は、当時室町幕府の為政者・佐々木氏の下命により、I翼山(通称八幡山)の宝殿・拝殿を造営し、次いで元亀2年(1571)神鐘・鐘堂(前述の覚書にかねいのとき・かねつき堂と記す)を鋳造・造営し、のち徳川政権下になって、慶長16年(1611)正月、改めて大鐘の再鋳(つりかねのいなおし)に着手した。

  註 鐘堂は翌17年7月28日完成、社殿南方の登山口近くに
    存在したが、明治12年、神仏分離により日杉山・願成
    就寺に寄進され、現在に至る。因みに、当該本堂は
    祖父・高木作右衞門光直作である。

 これの再建について、地元、小舟木村の大工・又太夫はこれを自分の大工所(縄張り)であると主張して譲らず、京都所司代・板倉伊賀守に提訴したが、主旨自体が大工所のことであるので板倉氏はこれを大工頭・中井大和守に裁決を依頼し、慶長15年(1610)11月、中井氏の要請により高木は返答書を提出した。

     ◆ 又太夫に対する罪状認否 ◆

 翌、慶長16年12月付で『是(これ)は、板倉伊賀守様・中井大和守様にて相済申す時の請状』という貼紙を有する文書がある。これと前述の返答書の両通を突き合わせて勘案すると、大工頭は又太夫の訴状と先祖の返答書の内容を吟味した結果、「有り様に御聞き分け被成」とある如く、『高木の主張には一切偽(いつわ)りや見せ掛け(上辺だけを良く見せる)が無く、本当のことである』と判断され、従って『大工所の件は高木に仰せ付けなされた事は実正なり』(偽りのないことである。)そうであるのに『右の大工所を又太夫は手前のものでないのに色々と理不尽なことを(高木に)申し掛け、その上で作右衞門の傍輩衆(同僚・仲間)にまで意趣(恨み返し)をした事実は『曲事』(不正・不法)である』と断罪された。

     ◆ 敵対調査を踏襲した不毛の連鎖 ◆

 前述の請状を要約すると、江州蒲生郡小舟木村の大工・又太夫は高木の大工所(営業範囲)を自分の持場であると理不尽な主張をして譲らず、不合理な言い分を盾に先祖を提訴した。京都所司代は又太夫の訴状と、先祖が提出した返答書の双方を吟味した結果、高木の言い分を真実であると認める一方で、又太夫には逆に幕府公用作事の懈怠が露見し、この訴えは藪蛇となった。

 註 ちなみに公用作事とは国役(国税)のことで、この作事に徴用される代替として諸役免除の権利が与えられているが、これを有する公役大工(役大工とも)が役儀を怠ることは、現在の税法でいう国税滞納どころではなく、(諸役免除の保護を有する以上は)幕府に対する欺瞞行為と見做(みな)される。 

 事ここに至り、大工・又太夫に対する謝罪云々の埒を越えた所司代の判決は『又太夫無法者につき、牢舎仰せ付けなされ候』という重罪が下された。この冷厳な入牢処分について、先祖・右衞門兵衞を含む五名の江州肝煎が町中・また十三ケ村の仲間として不憫(ふびん)に思い、合議の結果、当人に課せられた役儀をそれぞれが分担して肩代りする旨の嘆願が功を奏し、又太夫は既(すんで)の所で入牢処分を免れることとなり、これの誓約として五名連署の請状を提出した。

 そもそもこの議論の核心は言うまでもなく、所司代・板倉氏、大工頭・中井氏による結審の内実が雌雄を決するが、如何んせん
『高木文書を調査する』と自己の分際を越えた大言をして憚(はばか)らない、奈良文化財研究所・細見・山岸説は肝心の表題を「請状」ではなく、『八幡大工所口上書』と知ったか振りで、決め付けている馬鹿げた見当違いの原因は、僅か一枚の文書(請状)に、十四ケ所の誤読がある体たらくでは真っ当な内容が把握できる筈もないが、それでも真相を極(きわ)めず、表面のみを見て下す浅薄な判断により、『このように高木は各地で相論を起こしている』と断定し、権威主義による中傷誹謗の過剰反能は、却(かえ)って自己の力量の無さを露呈し、世人の嘲笑を買う無様な恥曝(さらし)となった。

 このような社会通念を逸脱した違和感漂(ただよ)う虚勢は、自己の観念(屁理屈)と、証拠となる事実、(本件に即していえば請状の内容)との狭間の迷妄により真偽の区別がつかず、僻見による滅相もない悪質性と無知を強調しているが、その不埒は尊大に構えて先祖を見下し、恬然として恥じる気配もないが、とどのつまりは専門的な現実に直面して戸惑(まど)い、偏狭した愚にもつかぬ机上の空理・空論となったが、情味ある人間の普遍的な感性として厳しく黄吻の自分自身を律し、自らを省(かえり)みて忸怩たる想いに駆られるのが良識ある人間であると痛切に感じ、猛省を促すものである。
PN   淡海墨壷